ETAP-9 完走
物事って終わってみるとあっという間、モンゴルから帰国の朝を迎えました。
自分は成田便でホテルから出発するのは朝6時なのですが、Team オーマイガッ!の他の面々、小栗さん、シンヨさん、ノビさんは関空便で(そっちのほうが5万円ぐらい安いんです)、ウランバートル空港からの離陸が朝6時ぐらいなので、ホテルからは朝4時に出て行きました。自分はベッドの中から、出発するシンヨさんに、
「じゃあ、次は2年後ですかね ( ̄ー ̄)vニヤリッ 」って声をかけて、次の海外ラリーへのチャレンジをなんとなく約束しました。
上記のように成田便は高いし、乗り換えもあるしであんまり人気がなく(関東の人も関空便で、そこから国内便や新幹線で移動する人が多いみたいです)、成田便に乗った日本人は10人ほど。10時前にモンゴルを出たんですが、北京での乗り換え時の待ち時間があり、さらに出発遅延があったりして、成田に着いたのは夜22時ぐらいでした(^_^;)
![ETAP-9 完走](//img01.militaryblog.jp/usr/gunsmithbaton/mongol_kikoku.jpg)
実はこの到着時間、結構やばい… 成田からの終電は23時ほど(夏休みで普段より遅い臨時列車がありました)、北京で飛行機の中で飛び立つのを待っている時から、「う… これ以上遅延すると終電に間に合わねんじゃねorz 帰国しても家に帰れず成田泊まりかなぁ… 関空便なら午前中には日本に着くから、余裕で東京まで帰れたのに、失敗した」って焦ってました。
なので、荷物を受け取ったらBダッシュで、地下の成田空港駅に向かったんです(`・ω・´)ゞ
そしたら、自分の後ろに同じく、いそいそとエスカレーターを降りる人が… この人は自分でも知ってます、てか、誰でも知ってるでしょう、日本人ラリーストの頂点、あのパリダカを制覇した篠塚建次郎さんでした!
篠塚さんはラリーモンゴリアにジムニーで出場していたんですけど、雲の上の方ですし、2輪の自分は接点がなくて話す機会もなかったんです。でも、「篠塚さん、やばいっすよ、終電ギリギリです!」って声をかけて、二人で急いで電車に乗り込みました。
もう四半世紀も前の話ですが、自分が高校生、大学生の頃、年末年始にテレビで毎日中継されていた、パリ・ダカールラリーを見て、「いつか、自分も海外ラリーに…」って夢をふくらませていました。
そのとき、テレビの画面で応援していた、あの篠塚さんと自分が、いま二人で電車に乗っているんです! ここぞとばかりに篠塚さんとアレコレ話をさせていただきました
いや、最後の最後に嬉しい出会いがありました。そして、「やっぱり、いつかはパリダカ…」って思いを新たにしました。
でも、玄関に小学二年生の娘が作ってくれた「とろひィー」が置いてあり、廊下には「ゴールテープ」が貼ってありました。
![ETAP-9 完走](//img01.militaryblog.jp/usr/gunsmithbaton/IMG_0621.JPG)
![ETAP-9 完走](//img01.militaryblog.jp/usr/gunsmithbaton/IMG_0620.JPG)
自分は成田便でホテルから出発するのは朝6時なのですが、Team オーマイガッ!の他の面々、小栗さん、シンヨさん、ノビさんは関空便で(そっちのほうが5万円ぐらい安いんです)、ウランバートル空港からの離陸が朝6時ぐらいなので、ホテルからは朝4時に出て行きました。自分はベッドの中から、出発するシンヨさんに、
「じゃあ、次は2年後ですかね ( ̄ー ̄)vニヤリッ 」って声をかけて、次の海外ラリーへのチャレンジをなんとなく約束しました。
上記のように成田便は高いし、乗り換えもあるしであんまり人気がなく(関東の人も関空便で、そこから国内便や新幹線で移動する人が多いみたいです)、成田便に乗った日本人は10人ほど。10時前にモンゴルを出たんですが、北京での乗り換え時の待ち時間があり、さらに出発遅延があったりして、成田に着いたのは夜22時ぐらいでした(^_^;)
![ETAP-9 完走](http://img01.militaryblog.jp/usr/gunsmithbaton/mongol_kikoku.jpg)
実はこの到着時間、結構やばい… 成田からの終電は23時ほど(夏休みで普段より遅い臨時列車がありました)、北京で飛行機の中で飛び立つのを待っている時から、「う… これ以上遅延すると終電に間に合わねんじゃねorz 帰国しても家に帰れず成田泊まりかなぁ… 関空便なら午前中には日本に着くから、余裕で東京まで帰れたのに、失敗した」って焦ってました。
なので、荷物を受け取ったらBダッシュで、地下の成田空港駅に向かったんです(`・ω・´)ゞ
そしたら、自分の後ろに同じく、いそいそとエスカレーターを降りる人が… この人は自分でも知ってます、てか、誰でも知ってるでしょう、日本人ラリーストの頂点、あのパリダカを制覇した篠塚建次郎さんでした!
篠塚さんはラリーモンゴリアにジムニーで出場していたんですけど、雲の上の方ですし、2輪の自分は接点がなくて話す機会もなかったんです。でも、「篠塚さん、やばいっすよ、終電ギリギリです!」って声をかけて、二人で急いで電車に乗り込みました。
もう四半世紀も前の話ですが、自分が高校生、大学生の頃、年末年始にテレビで毎日中継されていた、パリ・ダカールラリーを見て、「いつか、自分も海外ラリーに…」って夢をふくらませていました。
そのとき、テレビの画面で応援していた、あの篠塚さんと自分が、いま二人で電車に乗っているんです! ここぞとばかりに篠塚さんとアレコレ話をさせていただきました
![face02](http://www.militaryblog.jp/img/face/002.gif)
家に着いたのは、深夜1時過ぎ。さすがに嫁さんと娘も寝静まっていました。
でも、玄関に小学二年生の娘が作ってくれた「とろひィー」が置いてあり、廊下には「ゴールテープ」が貼ってありました。
BAJAでのクラッシュから2年。ついに自分は無事に帰宅、完走したんです。
モンゴリアン・チョップ!!!!! 「完」
この記事へのコメント
ええ話や…。
ホント、心底、無事に帰ってこれて良かったと思います ( ´ ▽ ` )ノ
…でもね、大変なのは分かっているし、心配されるのも分かっているんですけど、自分は、また海外ラリーに行きたいんですよ ( ̄ー ̄)vニヤリッ
娘さん分かってますねぇW
いやぁ、まとめ方が上手いなぁ、
パリダカですか、もう誰も止められない。
とろひィーは、自分の一生の宝物です (≧∇≦)
いまはバリダカではなくなって、南米を走るダカールラリーになりましたけど、それでも世界最高峰のラリーだし、憧れます!
娘さんにとって自慢のパパですね(*´艸`)
はい、もうパパはトロけそうです (=^_^;=) デヘデヘ
まあ、お年ごろか、あんまり自慢はしてくれないですけどねw 友達の前では所謂、「パパ、あっちいって!」とかって感じだし… でも、まあいいんです ノシ