最終回!“グランピング”ツーリング

間もなくサポートカーが追い付き、ガイドさんの治療も終えて安全運転で走り出しました。走り出してすぐにガイドさんが横道に反れたので「なにかトラブルか?」とも思ったのですが、昼食休憩でした (^^ゞ



この日の昼食のロケーションがまた素晴らしく、きれいな川のほとりです!








聞けばこの川はウランバートルから流れてきているそうです。この昼食がツアー最後の食事となるわけであり(夕食は到着後、バイクを返してから、ウランバートル市街のレストランを予定)、旅の終わりを感じながらも、爽快な青空ランチでした。





昼食後、しばらく走ると最後の休憩地ですが、その場所は小栗さんが指定… 実はこの写真で小栗さんが指を差している場所は、このモンゴルツーリングのわずか1週間前、小栗さんがスタッフとして参加した『ラリーモンゴリア』のSS最終ゴール地点!この場所にゴールが立っていて、ここで小栗さんは完走したライダー、ドライバーを祝福したそうです。

これは本当に偶然だったのですが、自分たちのモンゴルツーリングにとっても、ここがダート区間の最後で、あとは舗装路の移動だけとなりました。





そして、数十kmを移動し、ウランバートルが見えてきました。バイクの返却は今日これから宿泊するホテルではなく、郊外の出発日に泊まったホテルの駐車場。ウランバートル市街は交通量も路面状況も危険であるし、返却後のトラックへの積み込み作業など、広い駐車場を使える郊外のホテルにしたようです。



5日間、走行距離1200kmほどのモンゴルツーリング、
ついに、ゴーーーーーール!



これまでの連載でたっぷり書いてきたように、実に素晴らしい至れり尽くせりのサポートで、キャンプツーリングの「楽しさ」の部分だけを抽出して存分に満喫できた5日間でした。

途中で少し出てきましたが、自分の初めての海外ツーリングは1991年、20歳でオーストラリアを走ったときでした。このとき大学生だった自分は、1年間大学を休学し、8か月間、道路のライン引きのアルバイトをして、真っ黒になりながら180万円を溜め、4か月間、オーストラリアを走りました。

このときが初めての海外であり、インターネットもない時代ですから、情報は本と人づてだけ。なにも知らない自分は図書館に通い詰めて、出発前に調べまくりました。

オーストラリアに着いてから、ろくにしゃべれない英語で、あちこちで「なんだコイツ、英語もまともにしゃべれないのか?」とオージーに冷たい視線を浴び、有色人種への差別を感じながら、それでも、聞き取れないような下手な英語を使ってであっても、自分がなにか言わなければ誰も助けてはくれないので、恥をしのんで悔しさをかみしめて必死に交渉し、バイクを買い、走って、泊まって、食べて、生活していました。

限られた予算しかありませんが、オーストラリア大陸を1周するのが目標でしたから、一人でキャンプし、自炊し、「どうやったら、お金を節約できるのか?」ということばかり考えながら走っていました。



この後、自分はバックパッカーでアジア各地を放浪することになりますが、そのときも数ヶ月バイトして(大学時代は、その後、ずっとピザのデリバリーをやってました)、数か月海外を放浪する生活でした。

時間はあれど、お金は限られている若者ですから、一泊数百円の安宿を渡り歩き、苦心して節約し、少ない予算でいかに長く旅が出来るかが主題のようなものでした。このころは、あちこちで見かける日本人のツアー観光客を「自分で何もできない人達」とバックパッカー仲間で言い合い自分達を特別視していました。

そんな海外ソロツーリング、そんなバックパッカーをしていた青春時代、お金がなくて苦労はしたけど、とても素晴らしい出会いがあったし、世界から様々なことを学びました。いまでも残る大切な思い出であり、本当に若いとき旅に出れて良かったです!





…でも、自分も40歳を過ぎて、若いときと同じことをやれと言われても無理です (^^ゞ 仕事をして家族を養い、社長として社員の生活を考えなければならないいま、もうなにもかもなげうって放浪する、旅をするなんてことは出来ません。

限られた時間しかとれないけど、限られた時間だから、そのバケーションの時間は思いきり楽しみたい。今回のモンゴルツーリングは目いっぱい楽しませていただきました (≧▽≦)




いま「グランピング」というのが流行っているそうです。グランピングとは「グラマラス+キャンピング」の造語で、要は「キャンプで自然を楽しむ! しかも、キャンプの不便さや面倒くささは抜きにして、ホテル並みのサービスと快適さで楽しんでしまおう!」という豪華キャンプとのこと。

モンゴルツーリングツアーは、その環境から、ホテル並みのサービスとは言いませんが、昔、ソロキャンプツーリングで、段取りから食事まであれだけ苦労していたことを思えば、バイクははじめから用意されていて、仲間と楽しく走れて、道もガイドが教えてくれて、宿泊場所も食事も用意してくれて、自分達はお客であろ「ただツーリングを楽しめばいい」というのは、なんと素敵なことであり、グランピングツーリングと言えるべきものでした。

今回のツアーは、クルーズインターナショナルさん主催で、航空券からレンタルバイクや現地の食事まですべて込々で31万5000円。これを高いと思うか安いと思うかはその人次第ですけど、自分は30万円分以上の値段では測れないぐらいたくさんの思い出を作れて、十分、元が取れたと思います (^_-)-☆ (お世話になったので最後に宣伝しときますw)





ではまたいずれ、モンゴルを、仲間と一緒に走りましょう!






~ 『tokkoと行くモンゴルツーリング2014』 完 ~






※この連載は『tokkoと行くモンゴルツーリング2014』 のカテゴリにしていますので、ここをクリックすれば25回の連載がすべて読めます(逆順になるので、スクロールして下から読み始めて下さい)






















  

自分の身を守れるのは自分だけ

モンゴルツーリング最終日は非常にいい天気で気持ちよく走りはじめることが出来ました。







例によって、この日の走行距離ははっきりしないのですが、まあ、200km~300kmぐらいらしく、最終日でウランバートルに着いたらホテルですから、遅くなっても特に問題はなく気楽に走ることが出来ます。

「これで終わってしまうのか」という寂寥感とともに、「どうやら無事に帰れそう」という安心感もあり、みんな快調に走り続けていました。



…が、「好事魔多し」というか、「フラグ立った」というべきか、順調に行っていた最後の最後、大クラッシュでけが人が出てしまいました。



クラッシュしてしまったのは、メンバーではなくガイドライダーさんでした…




※この写真はクラッシュ時の写真ではありません。クラッシュ時は大騒ぎで写真を撮ることも思いつきませんでした…


かなり開けた地形で、どうやら川に沿って走っている道でした。基本的にストレートで、街が近くなってきたせいか、ピストもしっかりついていたので、わりと安心してスピードが高めになっていて、だいたい70~80km/hぐらいで巡航していたときです。4番目を走っていた自分は前方で砂煙があがったのを見ました。慌てて急ブレーキ、この砂の上がり方は間違いなくクラッシュです。

ゆっくり近づいていくと、ガイドさんがうずくまり、バイクが見えません。周囲を見回したら、ガイドさんのバイクはガイドさんから10mほど離れたところに転がっていました。松下さんに聞くと、ガイドさんは手前の溝にフロントがひっかかり、前転してふっとんだとのこと。ピストがあるとはいえ、オフロードであり、横から水が流れたりしたクラックや溝はあちこちにあるのです。そういうときは減速して迂回するのが基本であり、それが間に合わないときはアクセルを開けてフロント荷重を抜いて飛び越えて対処します。慌ててブレーキしたまま突っ込んでしまうと、フロントに荷重が移り、フロントタイヤがひっかかると前転してしまいます。もちろん、ガイドさんも分かってはいたはずですし、これまできちんと走れていたんですが、溝を見落として慌ててブレーキングしてしまったのだと推測されました。

ガイドさんは意識はしっかりしていて歩くこともできましたが、唇を切って結構出血していて痛がっていました。上の写真のようにガイドさんはシールドが付いているとはいえジェットヘルなので顔をぶつけてしまったのです。



余談ですが、もう20年以上も昔、初めての海外ツーリングでオーストラリアを走った時、ソロツーリングだったのですが、途中で知り合った、とある日本人ライダーと二人で一緒に走ったことがありました。彼は自分の前を走っていたのですが、オフロードで120km/hほどから前転しました(彼も自分も650ccのビッグオフに乗っていました)。直後を走っていたので、バイクがリヤタイヤを真上にして数mも飛び上がるのを見てしまいました…

事故の様子を詳細に書くのは憚れるのですが、そのときの彼もジェットヘルメットで、前歯4本を折り、上唇が鼻の下まで切れて歯茎がむき出し、まぶたは腫れ上がりほとんど目が開かず、顔面血だらけ、片手骨折、しばらく意識がなくなりました。周囲数十kmは誰もいないアウトバック(内陸部)の荒野でしたが、幸いにして数十分でクルマが通りかかり、近くの集落まで(といっても、そこから1時間ぐらいはかかりました)運んでもらいました。その集落には医者はいなかったので、フライングドクター(セスナ)を呼んで、彼は、そこからさらに数百km離れた都市の病院に運ばれていきました。

このクラッシュを目の前で見て以来、自分はバイクに乗るときは原付きでもなんでも、絶対にフルフェイスヘルメット着用。どんなに近場であっても真夏でも、最低限、長袖長ズボン。そして可能な限りのプロテクションを身に付けると決めています。事故は本当に怖いです。少しでもケガの可能性を減らせることならなんでもします。自分の身を守れるのは自分しかいません。



ガイドさんは四肢の骨折はなかったので(後日、聞いたら、あばら骨が3本折れていたそうです)、ケガの手当てをしてからそのまま走り続けました。

実はここまでツアースタッフたちに、「今回のメンバーはみんなバイクが上手いですね」って言われていて、ガイドさんも結構がんばって走っていたようなんです。小栗さんをはじめ自分達はみんなで「別に速く走らなくていいから、安全な速度で走ってね」って何度もガイドさんに言ってはいたのですが、彼にとってはオーバーペースだったようでした(先頭を走るライダーが、一番、危険なのです)。

さすがにこれでガイドさんもペースダウン。このあとは安全運転で、モンゴルの道を楽しみ、全員、無事にウランバートルにたどり着きます。





長かったこの連載も次回がラストです!(^_-)-☆  …続く
















  

みんなで最後の晩餐(*^-^*)

出発が昼過ぎだったので、この日は予定のルートをショートカットし、ダートを大幅に減らして舗装路に変更し、100kmほどの走行でキャンプ地に到着しました。





舗装路からほんの数km入ったところなんですけど、草原と山々が広がり、まるで阿蘇をパワーアップしたかのような雄大なロケーションでの最後のキャンプ。しかも、観光客どころか人っ子一人いないわけで、この景色を独占でき、とてもとても贅沢なキャンプです。





今日はいろいろあったけど、無事に明るいうちにキャンプ地にたどり着くことが出来て、ホッと一安心の乾杯! 8月末とはいえ、結構、寒いので、常温ビールがちょうどいいです。 …しかし、ニシオさんは一人で今日も南国モードw





旅に出て、帰国してから写真を整理していると、「あれ?この写真なんだっけ?」ってなることがよくありますよね、これはまさにそんな一枚w 二人でトイレットペーパーを下げて、「中年よ、トイレを目指せ!」とかキャプション付けるつもりだったんでしょうか (^^;)







右のほうにあるのは、うちらとスタッフが泊まるいつものテント群ですが、この日、最終キャンプだけ、左端の大型テントが建ちました。いままでずっとこんなでかいテントを持ち歩いていたとは知らなかったけど、この大型テントは宴会用だったのです (^_-)-☆







いつもはうちらとスタッフは別に食事をとっているのですが、最終日のこの日は大型テントで一緒に食事をし、酒を酌み交わしました。





一人一人、このツーリングのことを振り返って挨拶をして






モンゴルウォッカのアルヒを飲み干します。全員が挨拶して、「あとはご歓談を…」ってなるのかと思ったら、2周目が始まりました… どうやら酒がなくなるまで、アルヒ一気を繰り返すのがモンゴル流宴会だそうです。

あまり酒に強くない自分は「これはヤバそうだ (;´∀`)」と早々に退散して自分のテントに入りましたが、みんなそれほど深酒はせず、穏やかに最後の夜が過ぎていったようです。







最終日の夜明け、この日は良い天気となり、ノビさんの体調も問題なさそうであり、ラストランを楽しもうと、慣れたモンゴルの道を走り出しました。










でもね、事故ってのは、慣れたころ、もう終わりだというころに起きるものです…




続く
















  

爽快ライディング!

ノビさんは、驚くぐらいに元気になって(もちろん、まだお腹は辛いのでしょうけど、テンションは元気そのもの!)、今日もみんなで楽しく走りだすことが出来ました (^O^)





しばらく走るとオフピスト走行(道を外れて走ること)になって、数多くの牛が放牧されている草原をいきました。





「道に縛られないで走るなんて楽しそう!」と思われるかもしれませんが、オフピストはどこに穴が空いているか、地面が崩れているか分かりづらいのでかなり緊張します。このあたりは、草がふんだんに生えていることで分かるように水が多いところで地面が柔らかく、そこを牛が歩くので、路面がボコボコになっていて、気持ちよさそうに見えて、実はかなりゆっくり慎重に走っていきました。







なんでオフピストしていたかというと、なんのことはなく、ガイドさんが迷っていたからで、このあたりの牛を放牧している遊牧民を探して道を聞いていました (^^ゞ

地図も何もない、道路標識もない、カーナビもないモンゴルですから、頼りになるのは「人づて」だけ。英語はまず通じませんから、モンゴルのオフロードツーリングには現地ガイドが不可欠です(ラリーの時はルートマップにしたがって走り、要所要所にはGPSポイントがマップに記載されているので、迷ったらGPSを頼りにそのポイントを目指します)。









休憩中には、松下さん、キタムラさんへの、小栗伸幸ライディングスクールが開校されていました (*^_^*)

GOさん、ノビさん、ニシオさん、そして自分は小栗さんと付き合いが長いですから、すでに教わっています。というか、うちらのオフロードライディングテクニックは、すべて小栗さんのライテクが基礎になっているわけです (^^)v



しかし、それにしても、この日、4日目はいい天気、いいコンディションで、とても爽快なオフロードライディングを満喫出来ました。









さあ、もうすぐ、このツーリング最後のキャンプ地に到着です。




続く


















  

砂遊び!

まだ、ノビさんはお休みしているので、自分達で遊ぶことを探します。GOさんがいそいそとウエアに着替えて走り出しました。








「どこへ?」かと言えば…






砂丘でーす! 昨日、途中でちょっとした砂溜まりがありましたけど、このあたりは砂漠というわけではないですが、砂が多い地域のようで、泊まっている遊牧民のゲルから見えるところに砂丘がありました。プチ砂漠みたいな感じになっていて、ここなら遭難する心配もないですから、遊ぶにはもってこい (^_-)-☆







一人が行くと、みんな真似して走りたくなって、砂丘に集まってきました。面倒くさがり屋の小栗さんもやってきて、砂丘のてっぺんに登頂成功! 下のほうに小さく見えるのが松下さんとキタムラさんです (*^-^*)





ガイドさんも遊びに来ました。こうやってバイクを乗ることを仕事にしているぐらいですから、バイクが好きなんですよね。今日はお仕事でなくて、プライベートで一緒にバイクに乗ったわけですw





あまり砂になれていないキタムラさんは悪戦苦闘 (;´∀`) そう、砂は慣れとコツなんです。自分は新潟で大学時代、よく砂浜に走りに行ってたんで砂には慣れてて、自慢ですが(w)ちょっと得意です (*^^)v

砂を走るコツは簡単といえば簡単なことで、常にエンジンを回し続けるんです。砂の抵抗に負けて速度が落ちると、フロントが砂に取られてポテッと転ぶので、いつもより1段、2段低いギヤで、バァーバァー回してパワーをかけながら走ります。

発進してはじめは砂をかっぽじってタイヤが沈んじゃうんで、開けたり閉じたりのアクセルワークが必要なんですけど、ある程度スピードに乗ると、砂の上に車体が浮いたようになってガンガン開けていけます。コーナーも、普通の路面ならアクセルを閉じますが、サンドではアクセルを開け続けたまま車体をひと思いに倒して、ワダチのバンクにタイヤを押し当てながら曲がります。



サンドのコーナーは、うまく曲がるとこんな感じでカッコいいです (≧▽≦)




自分がオフロード雑誌編集だった時代、天竜川で小栗さんのサンドコーナーをよく撮ったものです。小栗さんぐらいになると、サンドコーナーでハンドルを擦れますからね (^_-)-☆





ひとしきりサンドを堪能して、ゲルに戻ってくるとちょうどお昼ごはん。まったりと食事をしていたら、ついにノビさん復活です!



朝、ふらふらしていたのがうそのように、ノビさんが元気になりました! 休養とモンゴルの薬が効いたようです。ノビさんは最初、日本から持ってきた薬を飲んで、現地の薬が怖かったか、あまり薬を重ねたくなかったか、スタッフにモンゴルの薬を勧められても、「大丈夫、大丈夫」といって断っていたんですが、だんだん意識もうろうとなってきて、断る元気もなくなり、モンゴルの薬を言われるがままに飲んでから横になっていました。

元気になったノビさんに、スタッフは「あと2回、薬を飲んで」と言って飲ませていましたが、今度はノビさんも素直にモンゴルの薬を飲んでいました (*^-^*)





さあ、遊牧民のみなさんに別れを告げて、ツーリング4日目、出発!







続く























  

突発的レストデイ

4日目の朝となりました。






テントに寝ていると、太陽が昇ればすぐに分かります。朝日と同時に起床する生活です。





夜間はゲルの周りに集まって寝ていた羊や牛も、明るくなると同時に食事に出かけます。特に牧羊犬が集めたり、人が追い立てたりするわけでもなく、羊や牛は、日中は放牧に出て、夜になるとゲルに帰ってきます。




平和な朝に思えたのですが、異変がありました…




ノビさんが食あたりです。朝食前に盛大にリバース、その後もトイレを行ったり来たりと、トイレットペーパーが手放せない状態が続き、上から下から体の中のものがすべて出ていきました。

みんなの手持ちのクスリを飲んでみましたが、変化は見られず、スタッフがモンゴルの薬を飲ませてくれました。ただ、すぐに良くなるということもなく、ノビさんは完全にダウン…



選択肢としては、ノビさんをサポートカーに乗せ、スタッフにバイクを運転してもらうか、サポートトラックに積んで移動するという方法もありました(松下さんによれば、去年のモンゴルツーリングではそういうこともあったそうです)。

ただ、サポートカーに乗ってもオフロードの振動は激しく、病人のノビさんには辛いでしょうし、なにより、ノビさんにはリタイアの意思がないようで、「少し寝てれば大丈夫」と言ってから横になりました。



今日を入れてあと2日、首都ウランバートルまでの帰り道は、残り300kmほどとのこと。300kmが400kmだとしても、がんばれば1日で走れる距離です。みんな、ここでノビさんに無理をさせたくなかったし、ノビさんがまだ走る意思があるなら、それを尊重し、「まあ、いざとなったら今日はここにステイで、明日、がんばって走ればいいっしょ (^^ゞ」ということで、のんびりとノビさんの回復を待つことにしました。

このツーリングはうちらのツーリングですから、無理に進む必要もなく、みんなで楽しく走ることが一番です。当面、ノビさんは起きてきそうになかったので、リラックスモードにチェンジ。だらだらとして過ごすことにしました (^_-)-☆





キタムラさんはゲルの家族やスタッフと写真を撮って交流してたり






ニシオさんは、「どこの南国だよ!」ってスタイルでリラックスしたりw






遊牧民の使っている中国製バイクにまたがらせてもらったり






逆に、うちらのセローで遊牧民の子供が遊んだり






馬のけいこをしていたので、ついでに乗馬体験もらったり






秘蔵のカップヌードルを食べたり、と、それぞれ、急遽訪れたレストデーを楽しんでいました。太陽はだいぶあがって、お昼近くになってきましたが、まだ、ノビさんはダウンしています。

まあ、このまま丸一日、平原リゾートを楽しんでいても、なんら問題ないので、ノビさんにはゆっくり休んでもらいましょう。



続く


















  

美味しくいただきました (≧▽≦)

全5日間のモンゴルツーリング、折り返しとなる3日目の宿泊地は、こちら。遊牧民にお世話になります(この横にテントを立てます)





全員、無事に宿泊地に到着。今日は特に喜びひとしおだったわけで (^^ゞ





さっそく、うんこのストックを見つけて喜ぶ小栗さんw 近づいても臭いはなく、乾燥した草の香りです。







ゲルの中はこんな感じで、衛星放送のテレビ、洗濯機などもありました(電気はソーラー発電)。ウエルカムドリンクに馬乳酒と固いチーズをいただいたんですが、いろいろと日本人の口には厳しかったです (^^;)




そして、こちらの赤ちゃんは生後1年経ってないそうなんですが、もうすんごくどっしりしていて体格が良くて、「末は朝青竜か逸ノ城か!」って感じ。モンゴルの人は、顔はアジア系ですけど、日本人とは体格が全然違い、「赤ちゃんですらこれだもんな… こりゃ、勝てないわ」って思います。






…そして、本日のメインディッシュ登場!






瞬殺!


…以下略。この先、ちょっと生々しいので写真は省かせていただきます (;´∀`) でもね、ホントに瞬殺で、ナイフで腹を切ったと思ったら、おじさんが手を突っ込んで、30秒ほどで羊は動かなくなりました。聞けば、心臓の動脈を指でつまんで血流を止めて殺すとのこと。このあと、あれよあれよという間に皮が剥され、パーツに分解されていきますが、腹腔を開いて、血はその中に溜め、地面には一滴も落としませんでした(どうやら、血を大地に落とすのは良くないことらしいです)。

さすが、これが仕事ですから、実に手際よく、羊が解体されていきました。「自分達、人間は他の生き物の生命をいただいて生きているんだなぁ…」とか大層な感情を挟むヒマもなく、淡々と事務的に今日の夕食に変わっていきました。

「これをヤレと言われても出来ないな。肉を食べるにもテクニックが必要なんだなぁ」ってのが、初めて屠殺を見た自分の感想でした。







まさに出来立てのラム肉と野菜をオーブンで蒸し焼きにして








みんなで、美味しくいただきました!









そして一夜が明け、ゲルのまわりには今日も羊がたくさんいます。




続く

















  

砂遊び:序章

無事にニシオさんも戻って一件落着。再び、今日の目的地を目指して走りはじめました。たぶん、あと30kmぐらいのはずなのですが、天気が怪しく雨に振られないことを祈っていました。



しばらく走ると、ちょっとした砂溜まりがあって、その幅、20mぐらい。先頭のガイドさんが、「注意してね」という感じで下を指さして、2番目の松下さんが一時停止してから砂溜まりに突入。でも、コケちゃって、リスタートもちょっとハマり気味 (^^ゞ






そして、その次のキタムラさんもポテっとな (;´∀`)






サンドってちょっとしたコツがあって、走りなれてないと難しいんですよね(そのサンドの走り方のコツ等は、後の話で書きますね)。浜松の砂浜や天竜川河川敷の砂溜まりで練習してモトクロス国際A級まで上り詰めた小栗さんはサンドが大の得意! 小栗さん、延々と砂丘ばかり走り続けるというUAEラリーも完走していますしね (*^-^*)



普段はみんなの世話役で最後尾のケツもちしている小栗さんですが、松下さんとキタムラさんが軽くハマっている間に、ここぞとばかりに小栗さんはサンドで遊んでいましたw 



で、転んだ松下さんが一言、「シルト、いやだぁ…」って言ってたんですが、そこは、BAJAやオーストラリアを経験した自分としては、「これはシルトじゃないですよ、ただの砂溜まり、サンドです (-。-)y-゜゜゜」って訂正しておきましたw

「シルト」って本当に小麦粉のような細かいパウダーで、シルトを走ると車体がリアルに沈みます。シルトが舞うとなにも見えなくなるし、BAJAではモンスタートラックですらハマるし、これは体験した人じゃないと分からないものなんです…





さて、そんなプチサンドも越えて走り続け…









今日のお宿、平原のなかにぽつんと1軒だけ建つゲルに到着! とはいえ、うちらはテントに泊まります。このゲルの家族にご厄介になるのです。


これから、羊を丸々一頭、ほふります (;・∀・)




…続く
















  

ニシオさんの冒険…(;´∀`)

この旅、最大のピンチ(というか、みんなが「ヤバい…」と焦った事案)は、ニシオさんが主人公です ( 一一) この『ニシオさんの冒険…』事件には前ふりがあったんです。それは、モンゴルの道の話…



モンゴルの道、オフロードは「ピスト」と呼ばれるのですが、これは多くの人が走るルートが踏み固められて自然と道となったものです。遥か昔、馬に踏み固められて出来上がっていたピストが、クルマの時代になって新たな姿を見せるようになりました。

平原は基本的にフラットですから、どこでも走れます(ただし、みんなが走るピストから外れると、どこにクラックや穴があるか分からないので危険ではあります)。なので、少し地面が低くてぬかるみやすくなっているところなどで、雨が降って水がたまると、そこを避けるように走るので新たなピストが出来上がり、1つのルートに何本ものピストが並行して走ることが多いです。



この写真では何本ものピストがありますが、いずれ一つに収束し、同じ目的地を目指す同じピストです。

ツーリングで連なって走ると前走車が巻き上げる土埃で後続は視界が遮られます。ガイドに続く、2~3台は、たがい違いの『千鳥走行』で距離を近めに走れば土埃が上がる前に走り去れるのですが、後続はそうはいきません。なので、後ろのノビさん、GOさん、そして最後尾の小栗さんは、土埃が収まるようにかなり距離を取って走っていました。この三人はライディングテクニックも上手いし、特に最後尾の小栗さんは海外ラリーにもモンゴルにも慣れているので離れていても、遠くに上がる土煙で方向を定め、ピストを選んで走ることが出来るので問題ありません。

また、前述のように並行してピストが走っているので、「別のピストを走れば、前の土埃を避けられるよ」ということで、後部3人はよく別のピストに移って、前に接近し動画や写真を撮ったり、並行して走ったりして遊んでいて、そんな話を小栗さんがニシオさんにしていたんです。

で、この日、ニシオさんもしきりに別のピストに移って遊んでいました。それは問題ないし、ずっと、人の後ろにくっついて走っているよりも、いろいろ遊んだほうが楽しいですからね (^_-)-☆ ただし、「そのピストが同じ方向に向かう、並行して走るピストならば」問題ないのです…





モンゴルライダーのクラッシュのときは集落の近くだったのですが、ここから少し走る方向を変えて左に折れていくピストに入りました。しばらく走った後、ニシオさんは一見、並行して走っている右隣のピストに移りました(自分がニシオさんの真後ろを走っていました)。

しかし、ニシオさんの走っていたピストは次第にメインピストから離れ、Y字に分かれて、その距離は10m、50m、100m以上と、だんだんニシオさんが小さくなっていきました。

ここまで離れると、明らかにニシオさんの走っているピストは別のピストであり、別の目的地に向かうピストです。しかし、もう、前走のガイド、松下さん、キタムラさんが視界から消えているはずのニシオさんは一向にスピードを落とす気配もなく、左右を見ることもなく、ひたすら、その違うピストを走り続けていきます。

距離が200mほどは離れたでしょうか、草の上に西尾さんのヘルメットがかすかに見えるぐらいになったとき、自分はスローダウンして止まりました。すぐに後続のノビさん、GOさん、小栗さんも止まり、「ヤバい! このままだとロストする」と焦りました。

並行してピストが走っているときは隣のピストを走っても問題ないんですが、ここは集落の近くであり、集落から四方にピストが拡散していて枝道も多いんです。慣れてくると、そのピストが平行のものか、それとも枝道か分かってくるようになるのですが、まだ経験が浅いニシオさんは、平行のピストを走っているつもりで、枝道を走ってしまったんです。



ここで、全員で動くとさらにバラバラになってしまうので、「俺が行ってくる」と小栗さんが一人でニシオさんを追いかけ、自分、ノビさん、GOさんの3人はステイ。小栗さんが追いかけはじめたとき、すでにニシオさんは見えなくなっていました。

ラリーのときとは違い、ニシオさんはGPSも衛星電話も持っていませんし、ルートマップもありません。この日は曇り空で、方角もすぐ分からなくなってしまい、自分の位置をロストするでしょう。だいたい、自分達はガイドの後ろを走っているだけなので、今日の目的地がどこなのかも知りません。だから、いったんロストしたニシオさんが自力で合流するのは不可能に近いです。

そしてここでロストしてしまうと、ニシオさんと連絡をとる手段もありません。こちらも移動しているし、スタッフの電話番号等も知らないし(スタッフ間の連絡は無線ですし)、モンゴルの事務所の電話番号も知らないし、ニシオさんが自分からコンタクトを取る手段は皆無です。

モンゴルではほとんど英語は通じませんし、道路標識もありませんし、あったとしてもキリル文字で表記されているので読めません。お金も持っていませんし、ニシオさんが自力でウランバートルまで帰ることは、かなりの困難を伴います。

もうすぐ日も暮れます。モンゴルの夜は本当の闇であり、恐怖です。行先も分からず走り続けることなど出来ません。水も食料もサポートトラックまかせで身に着けていませんし、ビバークも困難です。



とりあえず、前走のガイドさん、松下さん、キタムラさんに状況を知らせようと、ノビさんとGOさんを残して、自分がルート上を先に進みました。1kmほど離れたところで、先行していたサポートカーと松下さん、キタムラさんが待機していて、ガイドさんはガイドさんでニシオさんを探しに行きました。

連絡係になった自分はノビさんとGOさんのほうに戻りました。すると、小栗さん、ガイドさん、ノビさん、GOさんが走って来て、「OK」とのサイン。再び松下さん達の待機場所に行くと、そこにニシオさんがいました。





聞けば、ニシオさんも自分がピストを間違ったのは分かっていたそうで(あれだけ前しか見ずスピードも落とさず走っていたので、てっきり、道しか見ていなくて気づいていないと思ってましたが)、でも、なかなか戻るきっかけがつかめずドンドン走って行ってしまったそうです… そして、しばらく走って誰も見えなくなったのでピストから外れ、オフピスト走行で左に走り、サポートカーを見つけて合流したとのこと。



人は自分の過ちをなかなか認められない、つい、「この先、このまま行ってもなんとかなるんじゃないか」と思ってしまうものです。でも、間違えたと気づいたときは、そこで止まって落ち着いてリカバリー方法を考えるのが最善であり、リスクが大きいときこそ、ダメージが少ないうちに「損切り」の決断が必要になってきます。



合流後、しばらくはへらへら笑っていたニシオさんですが、みんなに、事の重大さ、いま自分がかなり危険な状況にあったことを諭され、ようやく反省 (;´∀`)






いや~、何事もなくて本当に良かった!




続く



















  

大転倒で意識不明…

小一時間ほど、仏教遺跡『エルデニ・ゾー』を観光した後、出発。ここで、このツーリング中、初めて、ガソリンスタンドに寄って給油しました。



ここまで通ってきた小さい集落にもガソリンスタンドらしきところはあったんですが、バイクは常にトラックに積んだドラム缶のガソリンから給油でした(クルマはバイクと離れているときに街道沿いのガソリンスタンドで給油していたんでしょうが)。

モンゴルのガソリンは決して安くありません。リッター130円程度で、モンゴルの物価というか以前に書いたボヤちゃんの月収3万円程度でしたら、かなりの高額になると思います。ただ、遊牧民の人達は、どういう収入減なのかよく分かりませんが、赤貧生活というわけではなく、意外とお金持ちらしいです。荒野のど真ん中のゲルの横に、真新しいランクルやレクサスがひょっこり止まっていることもありますし、ゲルには衛星放送のテレビがあったりします。

まあ、日本人は一生懸命働いて35年ローンで家を買いますが、モンゴルの遊牧民は家を買う必要がないし(ゲルだし)、クルマを買うのが家を買うような感覚なのかな? 鉄道も高速バスもなにもない(都市間の定期バスはあるのかな? それこそWAZを使って)、公共交通機関に頼れないモンゴルではクルマは長距離移動の唯一の手段として、その重要性は日本の比ではないでしょうから。

※ちなみに、モンゴルよりもさらにGDPが低いラオスでもガソリンは100円以上したし、ガソリンが安いイメージのアメリカでも、いまやリッターにすると100円程度だし、確かに日本はガソリンへの税金が高いですけど、それでも物価や所得を鑑みると、「日本のガソリン価格も、まあ、こんなもんかな」ぐらいだと思います。





観光をしているときはもう12時をまわっていたので、「街の食堂にでも入って、ここで昼食かな?」と思いましたが、街から30kmほど走って作って食べるとのこと。その場所は舗装路から少し入ったところだったのですが、遠くからでも、「あ、あそこで食べるんだろ、きっと」って分かりました。小高い丘の上に、モニュメントが立っていて、人工物のない荒野ではかなり目立っていました。では、そのなにもなさっぷりをパノラマ写真でどぞ (^_-)-☆




ここは記念撮影ポイントというか、これまでなにもない荒野の連続でしたから、なにかあると写真を撮りたくなるものです。





このモニュメントは、モンゴルの国旗にも使われている『ソヨンボ』という意匠を立体化したものです。「ソヨンボ文字はかつてモンゴルで使われていた文字で、ソヨンボの意味には色々な説がある。それぞれの図形は上から、火・地球・水・太陽・月・陰陽をあらわしている。」(Wikipediaより)とのことです。





本日の昼食も美味しくいただきました! …が、実はこのプレートランチの前に前菜というかサンドイッチが出てきていて、それも結構な大きさだったんですよね。今回のツアーは(嬉しい話なのですが)、いつも食事の量が多いんです(帰国したら3kg太ってました (^^ゞ)

どうやら、モンゴルのマナーとして、出されたものは食べないと失礼にあたると聞いたので、みんながんばって食べていたんです。この辺、中華とは逆ですよね、中華文化圏では食べきると「足りなかった」ということになるわけで、残すと十分な食事を出した素晴らしい接待だったということで、残しても全然OKなんですから。

でも、さすがにこの量だと自分やGOさんでもいっぱいいっぱい、小食の小栗さんや松下さんはいつも食べきれません。余裕があるときは自分や他の人が余った分を食べていたんですけど、さすがに毎回は無理で残してしまいます… 「もったいないから、食事の量を減らしてね」って何度も言ったんですけど、結局、最後まで食事はたっぷり出てきました (;´∀`)





昼食後、今日の目的地までは、あと60kmぐらいとのことで、それほどの距離はなかったんですが、天気も良くなかったので、早めに行こうということになりました。このあとはダートオンリーです。

小さな集落を抜け、しばらく電線の鉄塔に沿って走りました。電線があるということは、町と町を繋ぐということなので、その電線の先には割と大き目な町があり、鉄塔の下はメインルートとなり、大き目のピストが縦横無尽に走っていることが多いです。鉄塔が目標になりますから、どこを走ってもいいわけで、走りやすいところを探してピストの数が増えます。



と、ここで松下さんがスローダウン




フロントタイヤのパンクでした。松下さんはガイドの後ろ、2番目を走っているので、後続のキタムラさん、ニシオさん、自分が止まりました。しかし、自分の後ろのノビさん、GOさん、小栗さんが来ません。

3人は前走車が巻き上げる砂埃を嫌って、結構、距離を離していることが多いのですが、それにしても3人が走っておこす砂埃も見えず、心配になってきました。しかし、そこでよく見たら、200~300mほど離れたところで手を振っていました。目を凝らして確認すると、3人とも手を振っています。「みんな立っているから、向こうも同じタイミングでパンクかな?」ということで安心したんですが、実はそんなことではありませんでした…



3人がいっこうに動かないので、ガイドさんが見に行ったのですが、こちらの4人には状況が分からず、ニシオさんに3人を見てきてもらうことにしました。すると、「モンゴルの人が事故っていた!」とのことで、3人は心配して待機していたんです。




モンゴルの人は左奥に写っているバイクで走って来て転倒。ライダーは倒れてまったく動かなくなったそうです。小栗さん達3人が、前述のように前走車の砂埃を避けるためにゆっくり走っていたら、うしろからこのモンゴルの人がバイクでやってきて、ピストから外れたわきから抜いてきました。しかし、抜いてピストに降りてきたとき、ワダチにフロントタイヤがひっかかり、思いっきり前転、そのまま倒れて動かなくなりました。

彼はノーヘルであり、かなり頭を強く打ったらしく、呼吸はありますが意識がありません。そのうちいびきをかきはじめたので、「これはまずい…」ということで、追い付いたサポートカーに近くの村まで医者を探しに行ってもらいました。

幸いにして、5分ほどしたら彼は意識を取り戻し、自力でバイクに乗って集落に帰っていきました。これこそ脳にダメージを受けている可能性があるから、「クルマに乗っていきなよ」と言ったそうですが、それでも彼は逃げるようにバイクで走っていきました。



実は、彼は抜くときに小栗さんを振り返り、満面の笑みで笑って、「どーだ! 俺のほうが速いぜ」って感じだったそうです。そして、お酒も呑んでいたようだったとか… 意識を取り戻した後、メーター周りが大破した自分のバイクを見て、がっかりした顔をしながら、走り去っていきました。





ポツポツと雨が降り出しました。この旅、最大のピンチはこのあとやってきます。




続く




















  

モンゴルの観光

小休止のとき、前方に見えていたのはハラホリンという町で、チベット仏教寺院の『エルデニ・ゾー』という遺跡があり、観光をしました。





こういう、人が多くいるところは怖いので装備類はランクルに載せてもらいます。一応、スタッフが見張っていてくれますが、うかつにバイクにかけておくと、誰に持っていかれるか分かりません。

前に出たラリーモンゴリアでも、チェックポイントが街にあると、休憩していると見物人が集まってくるのですが、そういうときに、荷物やゴーグルを盗まれた人がいました。盗まれたことを怒っても、もうどうにもならないので、自衛するしかないです。

ただ、モンゴルの治安が悪いとは思いません。欲しいものを持っていくことに対しての罪悪感があまりないんだと思います… 大切なのは、モンゴルの人が(大人も子供も)欲しがりそうなものを、盗れるような状態で置いておかないことだと思います。







モンゴルでは、社会主義国だった時代に仏教遺跡が破壊され、あまり残っていないそうですが、ここは数百年経っている総本山のような寺院で、一大観光地になっているようです。遺跡の前にはお土産物屋さんがずらりと並んでいました。

このツーリングツアーで観光らしい観光といえば、ここぐらいでした。英語が話せるガイドさんがうちらのグループについて説明してくれたのですが、あまり興味のない自分は、「ふーん」という感想ぐらいしかでず、申し訳ない (^^ゞ



昨日の温泉で、実は日本人の老夫婦にお会いしていました。ランクルに乗せてもらって移動するツアーでモンゴルを1週間ぐらい回っているとのこと。女性用の湯船で、奥さんのほうと一緒になった松下さんが聞いたところによれば、ご婦人は「モンゴルはなにもなくてつまらない」とおっしゃっていたそうです。

ウランバートルは喧噪の都会、そして郊外に出ると同じ風景が延々と続き、移動はクルマに乗って車窓からただ地平線を見ているだけですし、観光地らしい観光地はほとんどないですから、「観光」を目的にモンゴルに来ると、「なにもない」という感想になってしまうのも分かります。



でも、うちらはそれがいいんです、「なにもない」を堪能しに来たので (^_-)-☆




続く










※10月3日(金)、4日()、5日()開催の(※3日間のうちお好きな日程で1日ご参加ください)、『第2回 JWCSCチャンピオンシップ』の事前申し込み締め切りは9月28日(日)です。事前エントリーしていただくと、賞品サービスがございますので、お早めにお申し込みいただければ幸いです。










  

初転倒… まだ「初」です

「ウッホホウッホ」な小休止のあと、走り出して間もなく、自分はコケました。





しかも、スピードが乗った直線ゴケで、危険なコケかたであり、このツーリングツアー中、初めての転倒者らしい転倒者でした…

下りだったのですが、自分の前を走っていたキタムラさんがふられたのを見て、「このワダチは荒れている」と判断し、ワダチを変えようとしたときにリヤタイヤがスリップして転び、倒れたまま路面を滑りました。下りで減速しながらワダチを乗り越えようとしたから、リヤタイヤの荷重が抜けてグリップ力を失っていたのに、うかつに進路変更しようとしたミスです。

ただ、幸いにして、身体はまったく無傷でした。これまで何回か出てきた自分のライディングウェア写真が太って見えるのは、首から足の先まで、みっちりプロテクションを付けているからなんです (^^ゞ 転倒してすぐに身体を確認したら、ウェアは少し破れていましたけど、どこも痛くもなく、派手に転んだけど打ち身や擦り傷すらありませんでした。

ただ、プロテクションを付けているからといってケガをしないわけではなく、プロテクションを付けることでケガをする可能性を減らすことが出来るだけですから、今回は運が良かっただけです。





身体は無事でしたが、マシンのほうはハンドルが曲り、左ミラーのホルダーが壊れて、ミラーが外れました。自分は「これぐらいの曲りなら、ゆっくり走れば走れますよ」と言いましたが、ガイドさんが力技でハンドルの曲りを直してくれました。

もとから、ハンドルには曲りが直した跡があってパイプが潰れていたんですが、今回もそこが曲り、また直したわけです。何回も曲げると塑性疲労でぽっきり折れそうで怖いのですが、ここはモンゴル流修理ということで、ハンドル交換はせず、そのまま… ハンドルを折らないように走らないと (;´∀`)



そして、自分の巻き添えで、松下さんもコケました…



自分の転倒で、慌てて止まった松下さんが立ちごけしてしまったんです。ごめんなさい、松下さん… 人( ̄ω ̄;) スマヌ








そして、しばらくして舗装路に出ると町が見えてきました。出発したウランバートル以来、初めてみる市街地です。


町の手前で止まったのは、後続のGOさんと小栗さんが付いてこなかったから。最初は「しょうべんかな?」って思っていたのですが、10分ほどしても追いついてこず、不安になってきたころに、ようやく二人が到着。

聞けば、GOさんのフロントタイヤがパンク。80km/hぐらいで巡航している舗装路でのフロントパンクですから、かなり振られて危なかったそうですが、GOさんは無事に減速して道路右側の路側帯に出て止まれたそうです(※モンゴルは右側通行)。




続く










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トラブルへの序章

モンゴルツーリング3日目の朝。この朝は適度に雲が出ていて、空が良い色に染まっていました。ツアー中、もっとも美しい朝焼けでしたね。







上がキタムラさんがCanonのハイスペックコンデジで撮影した写真、下が自分がiPhone5で撮影した写真。もちろん、コンデジのほうが解像感も色もキレイに出ていますし、モニターで拡大して見るとその違いは明らかなんですけど、こうやってブログ用に長辺450ピクセルに縮小してしまうと、わりとiPhoneでも大丈夫なのです。





ランクル、プリウス以上に、モンゴルでよく見るクルマが、このロシア製四輪駆動のバン、『UAZ』です。これ、基本設計は1958年ということで、もう50年以上前のクルマですが、まだまだまだまだモンゴルでは現役というか新車で買える、走るシーラカンス (*_*)

でも、UAZがいいらしいのです。詳しく聞かなかったからこれほどまでに人気の理由は分かりません。壊れないとも思えなかったし、性能がいいとも思えなかったけど、やっぱり、圧倒的シェアを誇るヒュンダイトラックと同じで、「みんなが使っている、使われ続けている」ということが凄く意味を持つのでしょうね。いったんデファクトスタンダードになったものは、そう簡単に変わらないって話なのではないかと思います。





昨夜は大宴会だったらしいけど、みんな早起き。夜明け前から起きてきて、朝焼けを堪能していました。





自分もふらふらと散策。温泉かけ流しということは、その排水はどこかに流れていくわけで、下水などないここでは、小川に温泉のお湯が流れ、湯気が立っていました。





誰もいない静かな朝に、牛の「モシャ、モシャ」と草をはむ音が響いていました。





さて、朝食を食べて出発。今回のツーリングツアーの目的地というかメインイベントはこの『ツェンヘル・ホット・スプリングス』で、首都ウランバートルから西に向かって500kmほど2日間走り、ここにたどり着き、残りの3日間は別ルートでウランバートルに向かって帰っていくルートになります。



温泉街が一番はじっこというか、どん詰まりで、帰るためには街道まである程度同じルートを走らなければならず、昨日、渡った川を数本、今日も渡ります。でも、昨日、一回走っていて様子は分かっているので、全員、スムーズになんら問題なく通過しました。



ちなみに川渡のときは、ギヤは1速で、ある程度回転を上げて走ります。ゆっくり走るとき、普通はトルク変動を嫌って2速で走るのですが、2速で水の抵抗に負けないトルクを得ようとするとある程度回す必要がある=スピードが上がってしまいます。スピードが上がるとさらに水の抵抗は増え、そして盛大に水しぶきがあがってしまい、身体は濡れるし、水面はまるで見えなくなります。

また、2速でスピードが上がらないように回転を落すと、トルクが減って水の抵抗にまけるし、石などに当たってスピードが落ちたときエンジンがストンと止まってしまいます。川の中でエンジンが止まったら、再始動は細心の注意が必要。エンジンが水を吸ったらアウトなので、一度、エンジンが止まったら、もう再始動はあきらめて押したほうが安全であり、だから、エンジンは絶対に止めたくないんです。

なので、普段はあまり使わない1速で回転を上げながら、でも、怖くて早く川渡を終えたい心を抑えながら、ゆっくり走っていきます。ブーツが濡れるのを嫌う人は(オフロードブーツは一度濡れてしまうと、なかなか乾かなくて気持ち悪いので…)、シートにどっかり座って両足を上げるのですが、自分は怖いので、バランスがとりやすいスタンディングで川渡しました。

また、走って渡れない深さだと判断した場合はエンジンを止めて、川の流れに負けないように数人で押します。水の流れは凄い力だし、バイクはタイヤが浮き輪みたいなものだから、押すほどの川の深さの時は、タイヤが浮き上がってきて車体がすくわれて、かなり大変なんです。







小一時間ほど走って小高い丘の上で休憩。動物の骨(たぶん羊)を見つけて、ニシオさんが「ウッホホウッホ!」とはしゃいでおりましたw





…平穏だったのはここまで。この旅のなかで、もっともトラブルが多く、いろいろと記憶に残った3日目は、まだ始まったばかりです。



続く







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極楽温泉!…しかし、その夜、

『ツェンヘル・ホット・スプリングス』は、まさにモンゴルの温泉街、何件もの宿が集まっています。丘の上には、立派なホール付きの高級そうな宿(といっても、部屋はすべてゲル)がありましたが、うちらが宿泊したのは、奥まったところで、見た目は普通な感じ (*^-^*)







一応、レセプションの建物もありましたが、ここに人がいるのを見たことはありませんでしたw 奥に並んでいるゲルが宿泊棟で、定員4名だったのですが、男連中が3人ずつ2部屋、あと松下さんが一人で一部屋と、3つのゲルに分かれて泊まらせてもらいました。







宿に着いたのは16時頃で、この時期のモンゴルの日没は20時ぐらいでしたから、まだまだ日は高く、この機を逃さず、みんなさっそくウェア類を日干しにします。川渡を失敗したわけではないので、さほど濡れてはいませんが、このウェアで5日間通すので、少しでも快適に着れるように、おひさまに消毒してもらいます (^^ゞ





そして、本日の、というか、この旅のメインイベント!




ゲル群から少し離れたところにある、この建物…






源泉かけ流しの露天風呂でーす!

海外らしく水着着用の温泉ですから、みんなで一緒に入れます。でも、ぬるい温水プールという感じではなく、普通のお風呂のような適温で、湯に浸かると「ふい~ 、極楽、極楽 (≧▽≦) 」と言いたくなります。





一応、この温泉棟には宿の人がいて、聞いてみたら、「OK、OK」とのことだったのでビールを箱で持ち込み、さらに極楽度アップ! 結局、ビールを飲みながら、お湯に浸かったり出たりしながら、のんびりと温泉を満喫し、2時間以上入っていました (^^ゞ





小栗さんと松下さんは先に上がって、ライテク談義などしていたようです (^_-)-☆









宿には泊まりますが、飯は自炊、というかいつも通り、ツーリングスタッフが作ってくれます。スタッフもゲルに泊まるので、今日はゲルの中で調理していました。ガスコンロがありますが、これもツーリング中、持ち運んでいるもので、でっかいLPGガスボンベもトラックに積んでいるんです。







ゲルの中には薪ストーブがあります。本当は宿の人が火付けに来てくれるのですが、火起こしもまた楽しみであり、うちらは自分達で付けました。小栗さん、GOさん、ノビさんの3人は日本の自宅でも薪ストーブユーザーなので、火起こしも手慣れたものです。







さあ、今日の宴会開始! フレッシュ野菜サラダの前菜がとても美味しかったです。


…で、日本でもどこでも早寝早起き、酒を飲むとすぐ眠くなる自分は早々に宴会から離脱して、自分のゲルに戻って一人で寝ていたので知らなかったのですが、翌朝の伝聞によると、この夜は大変だったらしいのです…





その1 小栗さんが盛大にリバース…


「あんなの久しぶりだよ」っていうぐらい激しくきて、ゲルの外に飛び出し、口を開けた瞬間にマーライオンのように戻したそうです…(;´∀`) これは酒に酔ってのことではなく、何かに当たったらしいです。小栗さんは「リンゴだ、リンゴ」と言っていましたが、その要因がリンゴだったのか、リンゴの皿だったのか(ツアー中、皿は拭くだけで使いまわし)、それとも別のなにかだったのかは不明。小栗さんは翌朝には元気になっていたのが幸いでした。





その2 ニシオ・キタムラ コンビ炸裂!


なんか、モンゴルウォッカの『アルヒ』を飲んでいたらしいですが、ニシオさんとキタムラさんの波長が合って、コンビで悪酔いしたらしく、大騒ぎだったとか…(;´∀`) 

アルヒって、まさにアルコールの匂いで、強烈なんですよね。ロシアもそうだけど、寒い土地だと、アルコール度数の高い酒が好まれるのかな、やっぱ。




続く








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…来たね (^_-)-☆ 「川渡り!」

昼食後、「目的地まであと30kmのダート」とのことで、それがたとえ50kmであっても、もう残りは大した距離ではないので、ゴールに向けてモンゴルの草原を満喫しながら気持ちよく走っていました。








…と、ここで自分のバイクの後ろのほうから、「カンカンカン」という異音がしたので、慌ててストップ。じっくり車体を調べてみたら、なんとリヤタイヤに…





こんなでっかい鉄くずがぶっささってました (;・∀・) 本当に幸いにして、ブロックに対して横に刺さっていたので(なぜ、こういう風に刺さったのか不明ですが)、パンクすることもなく、引き抜くだけで修理完了でした。









次第に、これまでの道中では見たことがなかった、「木」が現れ始め、小川も流れ、単一の草原に比べ自然の変化が豊かになってきました。

…見ている分には森や小川はキレイなんですが、これだけの木を育むということは、豊富な水があるわけで、ついに行き当たってしまいました。



川に…




ここはこれまで出てきた躊躇せずに渡れる小川レベルではなく、水量も川幅もかなりの川であり、本格的な川渡りとなります。





ま、無理に突っ込んでも危ないので、みんなで休憩してルートと走り方を話し合いました。そして、小栗さんの見立てで、メインルートから少し下流の瀬になっている部分が浅くていいだろうということになりました。

…ただ、そんな話し合いを日本人たちでしていたのですが、日本語が分からないガイドライダーさんは、止める間もなくメインルートに突入。案の定、シート近くまでの深さがあり、途中でふらついて足を着いて、エンジンも止まってしまいました。幸いにしてガイドライダーさんはなんとか自力で渡りきり、マシンも水を吸ってはいなかったのでエンジンは大丈夫でした。



そして、まずは小栗さんが先陣を切ります。







ルートが決まったら、小栗さんが向こう岸から、ここを通れと指示を出して、



順番に渡っていきます。誰かが渡ってくれれば、水面下の深さや川の流れの強さが分かるので、後続はとてもラクになるんです。





小柄で体重も軽くマシンの抑えが効かない松下さんも無事に川渡に成功!





最後はGOさんが締めました。「ケツもち」(=一番、最後)は、誰も後続が助けてくれず、前のライダーになにかあったら対処する必要がある人なので信頼できるライダーでなければなりません。普段は小栗さんが勤めていますが、こういうときは、このメンバーのなかで小栗さんの次に上手い(元モタード国際A級ライダー)GOさんがケツもちとなります。

特に誰がどうとか指示がなくても、メンバーみんな、それぞれの技量を把握しているので、自然と自分の役割を果たすわけであり、互いに互いを知っている付き合いの長い信頼できるメンバーでのツーリングは、とてもスマートでラクで楽しいのです (^_-)-☆

(※自分の役割は、こうして写真をいっぱい撮って、あとでツーリングのレポートを書くことですw)





このあとも何度か川渡がありましたが、全員、無事に本日の目的地に到着!






今日の宿は『ツェンヘル・ホット・スプリングス』 そう、温泉です! リゾートなのです! (≧◇≦)



続く




















  

晴天!

初日は曇りがちで一時、雨に降られましたが、2日目は打って変わって雲一つない晴天の中、気持ちよくライディング出来ました。










…と、後続が付いてこなくなったので、「パンクかな?」と引き返したら違いました。今度はチェーン切れでした (*_*;

キタムラさんのチェーンが切れて、後ろを走っていたニシオさんは、チェーンがすっ飛ぶところをみたとのこと。チェーンがニシオさんに当たらなくて本当に良かった。スケバンが振り回すチェーンとは違って、数十km/hで走るバイクが回しているチェーンですから、人に当たっていたらタダでは済まなかったはず…



チェーンが切れるといってもクリップが外れて接続部が外れるわけですが、チェーンは回収できてもさすがにクリップは拾うことは出来ず、「走れなくなったマシンはサポートトラックに載せて移動するしかないよな」って思ったら、ちゃーんと、スペアチェーンまでありました!





日本にいるとツーリング中にチェーンが切れるかもしれないという発想がないから、スペアのチェーンを持ち歩くなんてことがないけど、消耗品は安全なうちに変える日本とは違い、モンゴルでは使えなくなる限界まで使い(スプロケの歯もとんがりまくりだし、チェーン&スプロケをセットで変えるということはないんでしょうね)、消耗品は純正や日本製ではなく中華などのリプレイスパーツのようで品質も怪しいし、こういうチェーン切れのトラブルも十分に想定内というのが、さすがモンゴルというか、なんというか (;´∀`)







ってなわけで、結構、大き目のトラブルだったけど、ケガもなく、そして修理も出来ることが分かって、のんびり休憩してました (^_-)-☆







2日目の目的地まではダート100kmぐらいとのことだったので(×1.5想定で、「150kmぐらいかな?」って思ってましたが、やっぱりそのぐらい走りましたw)、休憩を多めにとって走りました。







そして、昼食は草原のどまんなか!






とても見晴らしがよく気持ちよかったですが、この日は晴天なので、日向はちょっと暑く、トラックの陰に入って休んでいました。



でも、トラックの日蔭は限られているので、自分は傘を出して、マイ日陰 (^^ゞ




キャンプ地での雨を想定して折り畳み傘を持ってきていたんですが、それよりも日傘として大いに役に立ちました。この傘、昔、香港に行ったとき娘へのお土産で買ったものですが、娘は中華デザインがお気に召さず、自分で使ってますw



続く




























  

「食」と「出るもの」 (*^▽^*)

モンゴルツーリング2日目の朝が開けます。






モンゴルの人が乗っているバイクはたいてい中国製なんですが、ここには珍しく「YAMAHA」のバイクがありました。オフロードバイクなんて贅沢品であり、普通はダートでもなんでも、こういう実用車に二人乗りや荷物満載で走っています。





朝6時ぐらい、日の出前に自分がテントから出てきたとき、すでに小栗さんはマイ椅子を出してくつろいでいました。

今回のツアーは、みんな身内みたいなものですし、特に時間に縛られることもなく、「明日はだいたい何時頃出発する?」というような感じで緩くスケジューリングしていました。でも、せっかくの自然、素晴らしい時間ですから、目覚ましがなくても、誰に言われなくても、それぞれ起きてきて静かな夜明けを毎日満喫していました。

(※除く、ニシオさんw ニシオさんだけはいつも「朝メシだぞー」って起こされるまでテントで熟睡してました。でも、それもまた自由です (^_-)-☆)







モンゴルの犬は縄張り意識が強く、ゲルを守るので、バイクで走っているとよく並走してきて吠えられて怖かったのですが、この日、この小屋の犬はやたらひとなつこくって、顔をすりすりしてきてとても可愛かったです (#^.^#)









ツアースタッフたちは、別にモンゴルの朝日をみたいわけでなく、疲れをとるために寝ているので、いつもツアーメンバーのほうが早起きです。なので、前夜にお湯を入れてもらっておいて、自分達で朝の一杯を入れます。

コーヒーはインスタントが用意されていましたが、GOさんが携帯用ミル挽き機を持参していて、毎朝、挽き立ての美味しいコーヒーをいただくことが出来ました。また、ノビさんが、わかめスープとコーンスープも持ってきていてみんなにふるまってくれて、薫り高いコーヒーと温かいスープで、穏やかに歓談しながら朝を過ごしていました。







こうしてツーリングの朝、キャンプの朝を楽しんでいると、スタッフが起きてきて朝食を作ってくれました。







この日の朝食は、キャビア、ご飯、海苔が出てきて、朝からみんなのテンション上がりまくりです! 旅において「食」はとってもとっても大切な要素ですよね。





キャンプさせてもらった小屋の娘さんがチーズを作っていました。右奥の袋に吊るして水分を抜くだけの簡単製法のようです。試食させてもらいましたが、日本人にはちょっと慣れないかな (^^ゞ







そして、もう一方、入ったら出ていきます。モンゴルにおいてトイレも旅の重要な要素。もちろんというか、ゲル生活が基本のモンゴルに下水などあるわけもなく、トイレは自然です。

ラリーモンゴリアのとき、トイレは設置されず、ライダーもメカもスタッフも、男も女も、ビバーク周辺で用を足していました。まあ、まったいらな平原とはいっても、草の凹凸などがあるので、うまく隠れて事をなすわけです。しかし、100人以上の人が動くラリーですから、ラリーのときのビバーク周辺はトイレットペーパーの花が咲き誇っていました (;´∀`)

でも、今回のツーリングツアーは、キャンプ地や昼食休憩時、簡易トイレを作ってくれるのです! 囲いを作って穴を掘り、用が済んだら砂をかけるだけですが、これは特に女性にはありがたい配慮ですね。



…ま、慣れている小栗さんは、360度自然の中での爽快な排便を求め、簡易トイレは使わず、この日も湖の白鳥を眺めながら、朝のお勤めをなさったようです (*^^*)






そう、「慣れている小栗さん」というのは、小栗さんは自分と一緒にラリーモンゴリアに参戦のあと、スタッフとしてラリーに2回参加しているので、今回のツーリングでモンゴル4回目になるんです。

選手でもお客様でもないラリーのスタッフは、すべてを自分でやらなければなりません。小栗さんはCP(チェックポイント)のスタッフとして働いていたので、通訳兼相棒のモンゴル人と二人っきりでCPにひたすら待機し、一通り選手が通ったら、翌日のCPに向けて深夜に移動。数時間の仮眠をとって、またひたすら待機…という仕事をラリー期間中、1週間、ずっと続けていたそうです。

なので、モンゴルのことなら小栗さんにお任せ! ツーリング中、休憩時に馬や牛のうんこを見つけると、喜んで燃やしていました。この煙が虫よけになり重宝するのです。うんこといっても完全に乾いていて匂いは草の香りですよ (*´▽`*)



続く










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初夜

オギー湖に夕日が落ちていき、ウィリー遊びをしていた高台から、さらに湖を半周ほど走って、今日のキャンプ地に到着しました。













小屋がありますが、ここは炊事場&荷物置きに借りるだけで、うちらはテントに寝ます。2~3人用のテントだったので、自分とキタムラさん、小栗さんとニシオさん、GOさんとノビさん、そして松下さんが一人という組み合わせで、この道中過ごすことになりました。





食事の準備が出来るまで、外のテーブルでアペリティフ。冷えてない常温ビールですが、みんなの格好をみれば分かるように、結構寒いので大丈夫。この日、8月26日ですが、日が落ちるとダウンジャケットが必要なぐらい寒いんです。日中は20度半ばぐらいまで上がりますが、朝晩は気温一桁台に下がるので、モンゴルツーリングには防寒対策が必須であり、なので、荷物も増えるんです。





星が上り、みんなで人工衛星探しをして遊んでいたら、良い匂いがただよってきて食事が出来上がり、ゲルのなかに移動して夕食となりました。冷えた身体に、温かい羊のスープがとても嬉しく、羊のあぶらがとても美味しく感じました。




そう、ここは周囲数十kmはなにもない荒野のただなかですから、素晴らしく綺麗な星空が堪能できました。さすがに、iPhoneでは星空は撮れませんが、写真が上手なキタムラさんが、みんなが寝静まった後も、三脚を使って2時間ぐらい撮影していたという力作にて、モンゴルの夜空をご堪能下さい (*^▽^*) ノ
















そして、1日目が終わりました。まだ、1/5です (^_-)-☆




続く








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笑顔

初日はウランバートルからひたすら西へ、オフロード100kmぐらい、舗装路250kmぐらいの走行でした。事前に旅行代理店からもらった日程表だと「オフロード100km、舗装路100km」となっていましたが、トリップメーターの数値が上がれど上がれど辿りつかず、結局、1.75倍走りました (;´∀`)

以降、日程表の数値等はあてにしないことにしました、というか、1.5倍増ぐらいで考えることにしました。「もう、今日もゴールだな! さあ、ゆっくりしてビール、ビール!」とか考えながら走っていると、外れたときのガッカリが大きいので、「まあ、着くときに着くさ」ぐらいの気持ちのほうがいいですw



でも、この日の舗装路は路面の状態もよく(陥没が少なく)、どとーのようにまっすぐな道が、丘を何度も越えて続き、とても気持ちの良い道でした。







こんなところですから、休憩はなにもない道路っぱたに座り込むだけですが、それでもいつも話が弾み、楽しい、そして贅沢な休憩時間です。











この日のキャンプ地は湖畔で舗装路から最後にダートを30kmぐらい走ったのですが、前走車があげるダストのなか夕日に向かって進むのは、まるで雲の中を走っているようでとても幻想的でした。

…現実的にいうと、路面がまったく見えず怖いのですが、まあ、フラットダートなので、バイクと自分を信じて進むだけです (^^ゞ





そして、日没間際の20時近く、目的地の湖畔まで来ました。






ダストの中を走り抜けてくると、「水」がとてもキレイです。この湖、「オギー湖」はモンゴルでも観光地らしく、ほかにも観光客らしきクルマが数グループ来ていました。

ここで、サポートカーは前に出て、もう少し先にあるキャンプ地でテントなどの用意をしてくれるというので、自分達は沈む夕日を眺めながら、しばし休憩。すると、小栗さんがウィリーをして遊び始めました (*^-^*)



夕日ウィリーがとても格好良かったので、みんなで写真をバシャバシャ撮ってました。今回、自分はカメラはiPhone5しか持っていきませんでしたが、小栗さんをみて創作意欲がわき、ノビさんのコンパクトカメラを借りて(iPhoneだと暗いときシャッタースピードが遅いので)、1枚だけ「走りカット」を撮りました。





自分は月刊ダートスポーツ・ガルルの編集時代に、ずっと小栗さんとコンビで仕事をしていて、ライディングテクニック、新車インプレッションなどで小栗さんの走りを相当撮ってます。それはもう10年ぐらい前のことになるわけですが、自分がノビさんのカメラを借りてしゃがみこみ、ノーファインダーで下から構えたら、小栗さんは自分の意図を察して、ぎりぎりまで近づいてスローウィリーを決めてくれて、1回シャッターを押しただけで、この写真が撮れたわけです。

ひさびさあっても、小栗さんと阿吽の呼吸で撮影が出来て嬉しかったです (*^^)v






そして、無事にキャンプ地に到着。モンゴルツーリング初日を走り終えた、もぎたてのみんなの笑顔をご覧ください (^_-)-☆






































こういう写真は「作り」じゃ撮れません。撮ってもらった自分の笑顔もとても自然で良い写真だったので、プロフ写真をこれに変更しました (^_-)-☆



続く








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サポートカーと修理

さて、ヒュンダイトラック君の応急修理を終え、走り出したのもつかの間、今度はバイクのほうのトラブルがおきました。





…ありゃあ、小栗さんのマシンのフロントタイヤがパンクです (;´∀`)


フロントパンクっていきなりハンドルが取られるのでかなり怖いんですが、小栗さんは安全にスローダウンして止まりました。「まあ、天気も悪くなってきたし、パンク修理している間にカッパを着ようか?」って話し合っていたら、カッパを着る前にソッコーで修理完了してました \(◎o◎)/!





そう、トラックのほうにスペアホイールが前後2本ずつ、4本積んであるので、この場ではホイールごと交換するだけという、F1もかくやの早業ピットサービスです (*´▽`*)

レンタルバイクをすべてSEROW225で統一しているということで、このサポート体制が可能なんですよね。持っていくスペアパーツが1機種用で済むし、いざとなれば共食い整備も出来ます。

前の話でヒュンダイトラックが壊れたとき、すぐにどこかから中古ラジエーターを買ってきてましたけど、モンゴルでは小型トラックはほぼヒュンダイ一択だから、そうしてあちこちでジャンクパーツ等が手に入る、また、修理のノウハウが蓄積されていくというメリットは大きいのでしょう。

モンゴルは先進国のようにあちこちにクルマのディーラーや整備工場があるわけでなく、荒野の真ん中で壊れても、自分達で修理しなければならず、必要なパーツがそうそう手に入るわけではないから、修理はパーツを自分達で調達するところからスタートする状況です。

だから、クルマの選択も「あのクルマのほうが性能が良い」とか、「高い、安い」とか、「かっこいい」とか、そういう話だけではなくて、まず、「みんなが使っているからパーツとノウハウがあって直せる」ということがクルマ選びの重要なポイントになるんだと思います。









また、ガソリンスタンドがある場所は舗装路でも限られていて、オフロードツーリングですからほとんど街がないところを走るので、ガソリンもドラム缶で運んでいます。

セローの航続距離は200kmほどで、毎日200~300kmほどの走行でしたので、途中、一回、給油するぐらいでOKでした。ドラム缶からの給油はポンプもないので、必殺の「ホース口ポンプ」ですw これ、失敗すると口の中にガソリンが入って大変なことになりますが、サポートカーのお兄さんは慣れていて、むせることもありませんでした (*^_^*)







だいたい30分~1時間ごとに休憩と、かなり止まる頻度は高いので、ラクが出来ます。止まるたびに甘いものと飲み物が配給され、疲れた体にありがたいです。

また、この休憩には、ランクルとヒュンダイトラックも同行ですので、特にオフロードではときどきクルマを待ってあげなくてはならないという側面もあります。バイクのガイドと、2台のクルマは無線で連絡を取り合っていましたが、モンゴルのなにもない草原はとてもよく電波が飛ぶので、山がなければ最長30kmぐらいは届くらしいです。







そろそろ夕方にさしかかってきましたが、ノビさんとニシオさんのマシンはライトが点かないので、なんとかならないかとチェックしてました(自分のマシンはハイビームなら点いたのでずっとハイビームにしてました (^^ゞ )。ノビさんのマシンはどうやら断線か接触不良らしく、配線をテープで縛ると点くようなので修理しましたが、ニシオさんが自分のバイクのライトを覗き込んで一言…


「これ、バルブがねえ!」


…そりゃ、バルブがなければライトが点くはずがありませんw ニシオさんが経営する会社、Absoluteはライト関係の開発もしていて、AbsoluteのHIDは8耐マシンに採用されていたりもします。「バルブなら会社に売るほど転がっているのに…」って言ってましたが、さすがにバルブまではモンゴルに持ってきていませんでしたw



まあ、結局、全工程を通じて、夜走ることはなかったので、ライトが点かなくても大丈夫でしたが、いざとなれば、ライトがないマシンを間に挟んで走るつもりでした。ラオスではGOさんのマシンがヘッドライトが付かなかったので、夜は自分とニシオさんでGOさんを挟んで走ってましたしね (^_-)-☆


続く



















  

最初のトラブルは…

今回のツーリングには2台のサポートカーが付きました。サポートカーは基本的にバイクと同じルートを後からついてきます。なので、ライダーは自分の荷物をすべてサポートカーにあずけ、身体だけでライディング出来るわけであり、オフロードツーリングで自分のバイクに荷物積載不要というのは、とってもラクで楽しいことなんです (*^^)v



1台はランクル60で、こちらはもちろんオフロード走破性も高くある程度のスピードが出せるので、ライディング中、必要になりうる雨具などの荷物、そして、水やお菓子などの軽食を積んでいます。







昨年ののモンゴルツーリングツアーでは、わりとオフロード初心者の方もいたとのことでバイクのペースが遅く、ランクルはほぼ並走状態でバイクについてきたそうですが、今回はみんな慣れているのでガイドライダーもある程度ペースを上げて走り、ランクルは離れてあとから来ます。とはいえ、小休止しているとそれほど待たずにランクルは追い付いてくるので大したものです。

そして、もう一台は、前述のように荷物を満載したヒュンダイのトラック。普通のFRで結構なオフロードを走ってくるのですから、ランクルよりペースは遅いとはいえ、これまた大したものです。…が、しかし…



初日の出発は9時頃で、そろそろ11時ぐらいになろうというとき、見晴らしのいい小高い丘の上で休憩しました。



今回のモンゴルツーリングはウランバートルから西に向かうルートで、ゴビ砂漠には行きません。前回のラリーモンゴリアのときのように、荒野を延々と走るということはなく、草原や丘陵地帯を走ることが多く、変化に富んでいて飽きさせませんでした。



…で、みんなで、「いや~! モンゴルの自然は良いねぇ (*^-^*)」ってまったりしていたら、突然、「パンッ!」っていう炸裂音が (@_@)

自分は職業病というかなんというか、「うわ、銃声!? 近くで狩りでもしてるんかなぁ、危ないかも」とか言ったのですが、小栗さんが冷静に、「丘の下に止まっているサポートトラックで音がしたぜ。なんか煙が上がっていたし、ラジエーターかな?」とのこと (^^ゞ





丘を下りて行ったら、小栗さんがご明察で、ラジエーターホースが破裂していました。どうやらラジエーターが内部で詰まって冷却できず、冷却水が高温となって沸騰し圧力があがり、ホースが破れた模様… 普通、圧が上がったらラジエーターキャップから抜けるはずだけど、そのラジエーターキャップも固着していたのか、安全弁が効かなかったのでしょうね(;´∀`)

ノビさんが(本職はクルマの整備士で、ラリーに行くときはメカニックをお願いしています)、「普段だったら、工具箱にラジエーターホースの漏れ止めテープ入れてるんだけどね。今回はサポート付きだし、バイクがセローだから持ってこなかった」って悔しがってましたw(セローは空冷なので)



こうなると修理に時間もかかるでしょうし、ここで早めの昼食としました。






今回のツアーは、ライダーが7人に対し、サポートカーが2台、そしてスタッフが6人も付きます。スタッフは、ガイドライダー、通訳、ドライバー×3人、そしてコックさんまでいるのです \(◎o◎)/!





ホント、至れり尽くせりのツーリングで、まさに上げ膳据え膳、キャンプ地に着いたら、テントを建ててくれて、翌朝にはテントを畳んでくれるし、うちらはひたすらツーリングの楽しさを満喫していればいいだけという、驚くべきおもてなしでした (*´▽`*)





その後、ヒュンダイトラックは、なんとかホースを短絡して繋ぎ、水を継ぎ足し継ぎ足し走りはじめましたが、やっぱりどうにもならなかったらしく、この日の夕方ごろ、街でラジエーターを買ってきて交換してました。




逞しいねぇ、モンゴルの人達は (*^-^*)




続く




















  

セローでGO!

連載4話目にして、ようやくバイクが出てきます(^^ゞ



今回のモンゴルで使用するレンタルバイクは、ガイドも含めて全員が『YAMAHA SEROW225』です。



いまはセロー250にモデルチェンジされたけど、225は1985年から2004年まで生産された人気オフロードモデルで、最大の特徴は「小型・軽量」であること。「二足二輪」というコンセプトで、低シート高、ハンドル切れ角が大きく小回りが利き、軽量であるのでとっても扱いやすく、トレールバイクながらトライアルバイクのような走りも出来るし、小柄な女性にも大人気だったんです。

自分のような体の大きさだとさすがに小さいんですけど、でも、タイムを競う競技ではないし、軽くて扱いやすいマシン、振り回せるマシンって、やっぱり走っていて楽しいものです。225ccですけど、ダートを80km~90kmぐらいで巡航できるパワーではありますから、十分です (^_-)-☆



1895年発売のセローですけど、レンタルバイクはすべて、セルが装備された2型(3RW)以降の形でした。ただし、さすがに使い込まれているだけあって、ちょっとボロイ (^^ゞ



さっそく、ノビさんがキャブからのオーバーフローを発見し、慌てて出発前に整備してましたし、自分が借りたマシンはセルがほとんど効かなかったです(たぶん、スイッチの接触不良)。自分のはキック併用だったので助かりました。




さて、いよいよ、出発の準備をし…









モンゴルツーリングスタート!




このときは、まだみんなウエアが白くてきれいですが、これから5日間、洗濯は出来ないので(気温が低くて、走行後、夜、洗っても朝までに乾きません)、だんだんホコリにまみれていきます。

ちなみに、着替えは人それぞれですが、運び込める荷物の制限が厳しいこともあって、基本的にみんなそのまま5日間過ごしています。風呂は2日目のツーリストゲルに泊まる日しかないので、それぞれ体を拭くウェットタオル等を持ってきていますし、デオドラントスプレー、ファブリーズなどを駆使して「臭い」を抑えます。

ただ、モンゴルは乾燥しているので、それほど身体は臭くならなかったです(もしくは、みんなが臭いから、臭いになれて気づかなかっただけかもw)





ツーリングは、現地ガイドが先頭を走り、うちらが付いていきます。モンゴルのピスト(オフロードの道)に道路標識はないですし、あったとしてもモンゴル語だけですからまったく読めません(モンゴル語の文字は、ロシアのキリル文字で表記されていて、英語の補助表記などもないので、まったく理解できないです)。だから、うちらだけではどこにも行けないので、モンゴル人ガイドが必須なんです。

ホテルを出発し、すぐにピストに入りオフロード走行開始!



…しかも、いきなりオフピスト走行(ピストを外れて走ること)。ピストはまがりなりにも道ですので、穴があいていたり崩れたりしていても、なんとなくワダチの出来方で分かるのですが、オフピストだと、草むらなどを走るので、どこがどうなっているか分からず怖いんです。

「むー、いくらオフロードを走りたくてモンゴルに来たとはいえ、いきなりオフピストはサービス良すぎるんじゃない? …というか、あぶねぇ ( 一一)」

って、思ったんですが、これはサービスではなく、ガイドさんがいきなり道を間違えていただけでした (;´∀`) ちょっと走って、舗装路に出てUターンしました。





モンゴルでの道路の障害物は、路面の破損だけでなく…




牛や羊、馬に阻まれたり…






いきなり道が水没していたりします (*_*)



動物たちに会ったときは怖がらせないように、ゆっくりゆっくり通過します。特に子供はお母さんに向かってまっしぐらに走るので、子供と親の位置関係を把握しておかないと、いきなり目の前に飛び出してきたりして危険です。

上の写真の水たまり、うちらは道の横にエスケープで来たから良かったですが、前から来たトラックは、この後、スタックしてました…







8月末のこの時期、モンゴルの昼間は20℃以上に上がりますが、朝晩は一桁台まで下がるので、暑さ対策より寒さ対策が必須です。走行風による体力低下を防ぐためにも基本的にライディングジャケットを着て、暑くなる午後だけ、ジャケットを脱いでいました。



ツーリングですから、写真撮影も楽しみの大きな部分を占めるものであり、みんなで写真を撮りあっていました。GOさんとノビさんは走行中も写真や動画を撮ってます(自分はそこまで上手くないので、止まって撮ります)








写真の上手なキタムラさんもアレコレ撮ってます ノシ




この日は曇っていたんですが、キタムラさんは、ちょっとイジってますね (^_-)-☆



そして、広大なモンゴルなので、あちこちでパノラマ写真も撮りました。パノラマ写真ってモニターで見る以外使いずらいんですが、縦置きにしてみましたので、スクロールしてご覧あれ (*^_^*)





まだまだ続く


















  

出発の朝 …モンゴルクルマ事情

翌日、自分は夜が明ける前、5時には起きましたが、同室のキタムラさんはまだ寝ていたので外に散歩に出ました。

モンゴル・ウランバートルの時差は日本[UTC+9]からマイナス1時間[UTC+8]なのですが、日本から5時間も西に飛行機で飛ぶ国で近くはなく、経度的に言うとベトナムやラオスと同じぐらいであり本当はマイナス2時間の[UTC+7]でもいいはず。8月末の日本の日の出は5時過ぎぐらいですが、モンゴルの日の出は6時過ぎぐらいで、やっぱり1時間ずれているんです。だから、時間感覚がちょっと狂います…

これは中国(北京)に時間を合わせたからなんでしょうね、きっと。



そんなこんなで、まだ薄暗い中、ホテルの周辺を1時間以上散歩しました。



ゴミ捨て場に見えるかもしれませんが、これは丘の上に造られたオボー(道標)です。モンゴルでは交通の要所というか、丘の上などに、こうしてオボーが自然発生的に作られています。旅人はこのオボーを時計回りに3回周り、1周に1個ずつ石を投げて旅の安全を祈願します。



オボーにはいろんな形があって、



バカでっかいのや






人工的なオボーもあります。このオボーの左下に見えるのが昨日泊まったホテルで、周辺になにもないでしょw 







そうこうしているうちにみんな起きてきて朝食となりました。ここが昨日、最初の晩餐をしたホテルのレストランですが、なかなか立派なもんでしょ (*^-^*)





ところで、日本ではランクル70の再販が話題になっていますが、モンゴルで働く使い込まれたランクルはカッコいいっす!





日本だと「ランクルはデカすぎて要らないかな (^^;) 」って思う自分ですが、モンゴルでは「ランクルじゃなきゃな!」って思えます。ランクルの悪路の走破性はもちろんのこと、モンゴルの冬はマイナス40℃にもなるそうですが、その極寒であっても、ランクルのディーゼルだけはエンジンがきちんとかかるそうです。日本車って凄い!(*'▽')



そしてもう1台、モンゴルでランクルに負けず劣らず、しょっちゅう目にするのが、なんとプリウスです。



ここまで使い込まれた初代プリウスを日本で見たことないでしょw どうやらプリウスは車種限定で「エコカーだから」という理由で関税がめちゃくちゃ安いらしく、大人気で大量に輸入されているとのこと。このぐらいの初代プリウスだと、もうバッテリーがダメになっているのでしょうけど、そこはみんな中華バッテリーに交換するんですって (#^.^#)

「日本はエコエコ言いながら、古い車はさっさと捨てるから、エコカー(ハイブリッドカー)こそ生産時の環境負荷は普通のクルマより高いからダメじゃん」と思ってましたが、モンゴルでそのエコサイクルは完結するようです。



…ただ、自分はこうして使い込まれたクルマばかり撮りましたが、モンゴルにはランクル200、レクサスLX570、現行プリウスも大量に走っているし、所得レベルの高い人は物凄くお金持ちそうです。ガイドのボヤちゃんの本職は日本語辞書の編集者ですが、月給3万円ほどと言っていました。貧富の差は相当ありそうです。

ちなみに、ボヤちゃんは日本に2年間働きに来ていて、300万円溜めて、帰国してからキャッシュでマンション買ったそうです、エライ! 2年間、一生懸命働けば家が買えるんだから、それはそれでまた羨ましいというべきか、日本で家をキャッシュで買うなんて、そうそう出来る話じゃないですよね…(^^ゞ





ちなみに、うちらのツーリングのサポートカーは、上の写真の青いランクル60と、このヒュンダイのトラックの2台です。



ラオスでもそうだったけど、ヒュンダイのトラックは新興国で大人気。小型トラックも大型トラックもヒュンダイばっかりです。これはもう、価格競争で日本車が韓国車に敗れたということなんでしょうね…



…結局、モンゴルの時差とクルマの話で今回も終わってしまいましたね (;´∀`) 次回、いよいよバイクが登場です!w




















  

最初の晩餐

3年前にラリーモンゴリアに行ったときはソウル経由のコリアンエアで、今回はモンゴル航空でした。モンゴル航空は片側3列シートの小さなジェットで、機内食も「う~ん (-_-;)」って感じでしたけど、成田から直行便というのはやっぱりラクでいいです。





ウランバートルの空港に降り立つ飛行機の影はキタムラさんが撮影。キタムラさんは前にKodakに努めていたこともあって、写真が上手く、ツーリング中もこだわったきれいな写真を撮っていました (*^。^*)









モンゴルの首都、ウランバートルの空港は、その名もズバリ「チンギスハーン空港」です。ニシオさんと一緒に写っているのは、通訳のボヤちゃんで、今回のツーリング中、ずっと同行してくれることになりました。若いお姉さんが一緒にいると、オジサンたちはテンション上がりますw











空港からホテルまではバスで移動でしたが、車窓から見るだけでも、ウランバートルはこの3年でえらい様変わりしていてビックリ!(@_@) あちこちにビルが建ったり建築中だったり、道路も舗装が進んでいたし、活気がありました。











ホテルはウランバートル中心部の渋滞を避けるためにも郊外のものということだったので、まったく期待していなかったのですが、嬉しい誤算でほぼ新築らしくとてもキレイ! ちゃんと歯ブラシとかのアメニティグッズもあって素晴らしい!







ホテルの1Fはスーパー併設だったので、さっそくお買い物に行ってみました ノシ









ツアー中の飲食はビールなどのアルコール類も含めてすべてフリーで、特に買い物をすることはないというので、モンゴルの通貨、トゥグルグには換金していなかったのですが、先週までラリーモンゴリアのスタッフでモンゴルに来ていてキャッシュを持っていた小栗さんから日本円1000円程度のトゥグルグを換金してもらって、この日、部屋で飲む飲み物を買いました。

それにしても素晴らしい商品の充実ぶりでした! …ただ、このスーパー、お酒を売るパーミッションの期限が切れたとのことでアルコール類は販売してくれませんでした。まあ、酒はこれからホテルで飲むからいいんですけどね (;´∀`) モンゴルは、呑んべえが多く、飲酒トラブル多発のようで、飲み屋は0時までだったり、毎月酒類を販売出来ない「断酒」の日が定められていたり、あれこれ規制があるようです。








そしてホテルで最初の晩餐。センターにいらっしゃるのは旅行代理店のモンゴルサイドスタッフ、オオシマさんです。かなりちゃんとした料理で、生ビールとTボーンステーキを美味しくいただきました ( ´ ▽ ` )ノ



さあ、明日から、いよいよ走りはじめます (^_-)-☆





















  

旅の始まり~日本出国まで~

今回のモンゴルツーリングの始まりは、3ヶ月ほど前、松下時子さん(tokkoさん)から届いた1通のFBメッセージでした。





大塚さん、こんにちは。とっても、忙しそうですね。

心と身体を癒す休日はいかがですか^^! と言うことで、8月末にモンゴルへ温泉ツーリングに行きませんか?

詳細はこちらです。
http://cruze.co.jp/html/b_mn_tm-road_hotsprings.html

なお、ウランバートルをスタートして、二日目のツェンヘル温泉に泊まった後のルートは全員が心から賛同し、且つ現地のスタッフが了承すればハルホリン経由などに変更できる可能性があります(* ̄ー ̄)

ツアーなので申込みをすれば、全て旅行会社が手配してくれます。それで、ツアー日の2週間前くらいに、チケット・(持っていくものリストなどが書かれた)しおり・などが送られてきます。ただし、旅中に飲むアルコールやジュース、おやつは自腹です。これは、ウランバートルをスタートする前に、コンビニでまとめて購入します。

ルート上の写真をいくつか添付しておきます。行けたらいいですね^^!

送信先:小栗さん、大塚さん、西尾さん、剛さん。







結局、このメッセージが送られた、小栗さん、自分、ニシオさん、GOさん全員が参加w そして、BAJAメンバーでラリーモンゴリアで自分たちのメカをお願いしたノビさん、うちらのグループとは別で松下さんの友達のキタムラさんが加わり、ホストの松下さんと合計7人で5日間に渡るモンゴルツーリングに旅立つことになったのです (^_-)-☆








バイクの海外ツーリングで最初の課題は「チェックインすること」 …なぜかというと、装備類が重いので、手荷物の重量制限によくひっかかるのです orz だから、出発前から、メンバーみんなでFBのグループを作り、「あーでもない、こーでもない」と情報をやりとりし、必要な荷物を厳選していました。

しかし、自分はネックブレースからチェスト、ニーブレースまで防具フル装備なので、どう考えてもモンゴル航空(MIT)の重量制限、預け入れ23kg、機内持ち込み5kgには収まりません。で、どうしたかというと…




ブーツ履きましたw

ブーツだけで4kgぐらいありますが、「履いてしまえば俺の衣服 ( ̄ε ̄〃)b」ということで重量計測はされないわけですw まあ、これは海外に行くオフロードライダーの常識というか、わりとよくやる手段です (^^ゞ

で、全員、超過料金をとられることなく(1kgオーバーごとに1400円だから、払ってもいいんですが、出来れば払いたくないですからw)、チェックイン完了。



また、今回はせっかくの昼便なので、出入国自動化ゲートの登録をしておきました(最近、羽田の深夜便ばかりだから、登録手続きが終わっている時間にしか空港に行かなかったので登録出来てなかったんです。登録自体は5分もかかりません)。

これで、次にイチローさんのとこに行くとき、羽田でも自動化ゲートを通れます。自動化ゲート、ラクでいいっすよ~! 自動化ゲートは空いているから列に並ぶことないですし、パスポートと両手の人差し指の指紋を機械でスキャンするだけで簡単に出国・入国出来ます (*^^)v







全員オンタイムで集合し、搭乗まで1時間ほど時間がありました。今回、プライオリティパスを持っている人が4人いたので、あとの3人はその随伴ということでUNITEDのラウンジに入りました。


まずは、この旅に、この仲間が集えたことに祝杯!



そして、いよいよモンゴルに出発です ノシ





















  

プロフィール
(株)バトンTrading
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エアソフトガン&パーツブランド BATON airsoft 、海外製エアソフトガンショップ Gunsmith BATON 、日本最大のシューティングレンジ BATON Range 、APSカップ競技銃チューニングショップ 蔵前工房舎 、オフロードバイクショップ『 Bivouac所沢 』 、電動オフロードバイク『 CAOFEN
』 の各種情報をお届けします!
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