DAY2 その4
スターのように観衆に見守れながら飯を食うのも落ち着かなかったです(^^ゞ この村で止まったのは昼食をとるためと、もう一つ理由がありました…
![DAY2 その4](//img01.militaryblog.jp/usr/g/u/n/gunsmithbaton/116_RIMG0257.JPG)
一応、ニャイが歩いてみましたけど、途中で諦めて帰ってきました。流れ、深さ、距離、三拍子そろってとても川渡は出来ません…
「どうすんのかな? 引き返すのかな」って思ったんですけど、なにやらニャイが村人と話をして、「この下流に橋があるから、そっちで渡ります」とのこと。
![DAY2 その4](//img01.militaryblog.jp/usr/g/u/n/gunsmithbaton/117_RIMG0264.JPG)
村の中を少し移動すると、村人がみんなで架けたであろう、竹の橋がありました。「へー、凄いなぁ! こんなの作っちゃうなんてカッコいい!」とかのんきなこと言ってる場合ではありません。この橋をバイクで渡ろうっていうんです。
どうみても、人が渡るためだけに作った橋です。耐荷重●●●kgまでなんて強度計算がされているはずがなく、村人の生活の知恵による建築構造が、バイク+人の200kg近い重さに耐えきることを祈るばかり…
![DAY2 その4](//img01.militaryblog.jp/usr/g/u/n/gunsmithbaton/118_RIMG0267.JPG)
さすがに、日本人三人は「マジすか!?」って躊躇していたら、村の子供たちが追い付いて、これまた川渡の見世物が始まることになりました (;´∀`)
![DAY2 その4](//img01.militaryblog.jp/usr/g/u/n/gunsmithbaton/119_RIMG0266.JPG)
橋に上るところは竹の梯子になっていて、これをエンジンかけてつっこむと壊しかねないので、テッパでバイクを持ち上げます。
![DAY2 その4](//img01.militaryblog.jp/usr/g/u/n/gunsmithbaton/120_RIMG0270.JPG)
…これね、本当に橋が持つのか、そして橋の途中でミスしてバイクを落とさないか、非常に不安だったので、4台のバイクを渡すのはニャイにまかせました。万が一にも自分がバイクを川の中に落っことしたら、弁償しなくちゃならなくなるので、そこはなにかあったらツアー会社の責任ということで (^^ゞ
幸いにして、橋が壊れることもなく、滑ってバイクが落ちることもなく、全員のバイクを渡すことができ、自分たちも歩いて橋を渡りました。
この村に至る道も、この村から出ていく道も、どこもクルマが走れるような道ではありませんでした。建築資材の輸送はせいぜいタイカブ、そして人力がいいところでしょう。自分たちは、「イヤッホー! ハードルートだ!」って喜んで林道を走っていますが、住んでいる人にとっては、すべてが不自由です。政府が橋を架けてくれることはないでしょうし、こうして自分たちでなんとかするしかないわけです。
つくづく、インフラの整備は生活、そして経済発展になくてはならないものだなぁってことを実感しました。すべてが整っている日本においては想像もつかないような状況でラオスの人々は暮らしているわけです。まあ、それは幸不幸で測れるものではないですが、便利ならそれに越したことはないわけですし。
![DAY2 その4](//img01.militaryblog.jp/usr/g/u/n/gunsmithbaton/121_RIMG0277.JPG)
ここは竹の吊り橋を抜けた直後の村内ですが、村内であってもこんな小川を渡らないと通行できません。村人はその横の木を3本渡した橋を往来していました。
![DAY2 その4](//img01.militaryblog.jp/usr/g/u/n/gunsmithbaton/122_RIMG0278.JPG)
さすがに、これは無理 orz
一応、ニャイが歩いてみましたけど、途中で諦めて帰ってきました。流れ、深さ、距離、三拍子そろってとても川渡は出来ません…
「どうすんのかな? 引き返すのかな」って思ったんですけど、なにやらニャイが村人と話をして、「この下流に橋があるから、そっちで渡ります」とのこと。
で、その橋がこれ (゚∇゚ ;)エッ!?
村の中を少し移動すると、村人がみんなで架けたであろう、竹の橋がありました。「へー、凄いなぁ! こんなの作っちゃうなんてカッコいい!」とかのんきなこと言ってる場合ではありません。この橋をバイクで渡ろうっていうんです。
どうみても、人が渡るためだけに作った橋です。耐荷重●●●kgまでなんて強度計算がされているはずがなく、村人の生活の知恵による建築構造が、バイク+人の200kg近い重さに耐えきることを祈るばかり…
さすがに、日本人三人は「マジすか!?」って躊躇していたら、村の子供たちが追い付いて、これまた川渡の見世物が始まることになりました (;´∀`)
橋に上るところは竹の梯子になっていて、これをエンジンかけてつっこむと壊しかねないので、テッパでバイクを持ち上げます。
…これね、本当に橋が持つのか、そして橋の途中でミスしてバイクを落とさないか、非常に不安だったので、4台のバイクを渡すのはニャイにまかせました。万が一にも自分がバイクを川の中に落っことしたら、弁償しなくちゃならなくなるので、そこはなにかあったらツアー会社の責任ということで (^^ゞ
幸いにして、橋が壊れることもなく、滑ってバイクが落ちることもなく、全員のバイクを渡すことができ、自分たちも歩いて橋を渡りました。
この村に至る道も、この村から出ていく道も、どこもクルマが走れるような道ではありませんでした。建築資材の輸送はせいぜいタイカブ、そして人力がいいところでしょう。自分たちは、「イヤッホー! ハードルートだ!」って喜んで林道を走っていますが、住んでいる人にとっては、すべてが不自由です。政府が橋を架けてくれることはないでしょうし、こうして自分たちでなんとかするしかないわけです。
つくづく、インフラの整備は生活、そして経済発展になくてはならないものだなぁってことを実感しました。すべてが整っている日本においては想像もつかないような状況でラオスの人々は暮らしているわけです。まあ、それは幸不幸で測れるものではないですが、便利ならそれに越したことはないわけですし。
ここは竹の吊り橋を抜けた直後の村内ですが、村内であってもこんな小川を渡らないと通行できません。村人はその横の木を3本渡した橋を往来していました。
いろいろと難所だった【村】を抜け、まだまだ旅は続きます。
…続く
この記事へのコメント
怪我だけはしないでくださいよホントに…
なにはなくとも進まねばならないのですよ (;´∀`)
ただ、レースではなくてツーリングですので、急ぐ必要はなく、4人いますから、いざとなれば協力してバイクを持ち上げることも出来ますし、かなり走破性は高いです (`・ω・́)ゝ
とりあえず、このときは何事もなく無事に帰ってきました。12月の第二次ラオスツアーのときも、なにはなくとも無事に帰ることだけを目標に行ってきます ノシ