DAY2 その7
しばらくするとニャイが帰ってきました。そのとき、「まずは、この近くで晩御飯」ということで、近くの建物まで歩いて行ったのですが、「やっぱり、別のところ」と言われ、バイクで移動。
すると今度は一件の建物で止まり、「ここが今日の宿です」ということで、なかを案内されました。どうやら3人で一部屋に泊まるようですが、まあ、この際、横に慣れればなんでもいいです。
そして、荷物を解こうとしたら、「急いでご飯を食べに行きましょう、もうすぐ店が閉まります」とのことで、また慌てて移動。なにはともあれ、飯にありつけました。

この写真、フラッシュをたいているので明るいですが、実際は真っ暗です。テーブルになにやら盛られているので、ここに座るのかと思ったら、さらに奥に案内されました。

灯りは蝋燭だけ。仕方ないので、GOさんがiPhoneのライトで照らしています。いや、ホント、iPhoneはラオスでもネットに接続して、日本の社員達や海外の取引先と連絡をとったり、写真を撮ったり、FBにアップしたり、こうしてライトで使ったりと、実に万能! 秘境探検にはiPhoneが欠かせません ( ̄ε ̄〃)b
晩飯はよく覚えていませんが、鶏肉と草ともち米でした。よく見えないので、手づかみで状態も分からないままに口に運ぶという闇鍋状態でしたが、なにはなくとも腹が減っていたので美味かったです! そして、なぜか冷えていたビールで、ここまでこれたことを祝いました。このあと、この店の主人なのか、このあたりの顔役なのか、ラオス人のおじさんが混ざって来て、よく分からない、かなりアルコール度数が強烈なラオス焼酎(中国かも、よく分からないシロモノでした)もいただきました w
ようやく人心地ついて、宿に戻ったのですが、「鍵がない」とのことでニャイはまたどこかへ…(さっき、一回開けてもらったけど、なにがどうなっているのやら)。また、日本人三人は残されたので、なにはなくとも装備を外してリラックスしました。ちなみに、現地の人とはまったく言葉が通じません。ラオス語はタイ語に近いので、タイ語が少し話せるニシオさんが会話を試みたりしていましたが、ほとんど通じませんでした。もちろん、英語は通用しません。だから、自分たちがなにかを聞くのは、英語が話せるニャイだけです。
それから20~30分ぐらいかな、ニャイが戻ってきたのですが、「別のところで泊まります。移動してください」と言われました。もう、装備は解いているので、このままではバイクに乗れませんし、荷物もある程度広げてしまって、これを暗闇の中でしまうのは一苦労…
自分は疲れていたし、酒が入って冷静な判断が出来なかったんですね。ここでキレてしまいました。「なんだって、ここだって言ったじゃん! もう荷物はといたんだから動かない、知らん!」ってニャイに噛みつきました。
でも、いくら怒ったところで、事態が変わるわけでもないことは分かっています。みんなに付いて、黙って荷物を運びました。途中、GOさんに「これ持っていきますね、バトンさん、そっちを持っていってください」って声をかけられたけど、返事もしませんでした。
歩いて5分ぐらいのところに宿はありました。ニャイに「ここと、ここの部屋を使って下さい。この部屋は二人で」って言われたけど、「ダメだ! シングルで部屋を使わせろ」と言って、ツインの部屋を一人で使いました。
洗面所には水甕があり、それを使えば洗濯も出来ましたが、「もう、どうにでもなれ!」って、なにもかもが嫌になって、頭から水を被っただけで、ベッドに倒れました。
すると今度は一件の建物で止まり、「ここが今日の宿です」ということで、なかを案内されました。どうやら3人で一部屋に泊まるようですが、まあ、この際、横に慣れればなんでもいいです。
そして、荷物を解こうとしたら、「急いでご飯を食べに行きましょう、もうすぐ店が閉まります」とのことで、また慌てて移動。なにはともあれ、飯にありつけました。
この写真、フラッシュをたいているので明るいですが、実際は真っ暗です。テーブルになにやら盛られているので、ここに座るのかと思ったら、さらに奥に案内されました。
灯りは蝋燭だけ。仕方ないので、GOさんがiPhoneのライトで照らしています。いや、ホント、iPhoneはラオスでもネットに接続して、日本の社員達や海外の取引先と連絡をとったり、写真を撮ったり、FBにアップしたり、こうしてライトで使ったりと、実に万能! 秘境探検にはiPhoneが欠かせません ( ̄ε ̄〃)b
晩飯はよく覚えていませんが、鶏肉と草ともち米でした。よく見えないので、手づかみで状態も分からないままに口に運ぶという闇鍋状態でしたが、なにはなくとも腹が減っていたので美味かったです! そして、なぜか冷えていたビールで、ここまでこれたことを祝いました。このあと、この店の主人なのか、このあたりの顔役なのか、ラオス人のおじさんが混ざって来て、よく分からない、かなりアルコール度数が強烈なラオス焼酎(中国かも、よく分からないシロモノでした)もいただきました w
ようやく人心地ついて、宿に戻ったのですが、「鍵がない」とのことでニャイはまたどこかへ…(さっき、一回開けてもらったけど、なにがどうなっているのやら)。また、日本人三人は残されたので、なにはなくとも装備を外してリラックスしました。ちなみに、現地の人とはまったく言葉が通じません。ラオス語はタイ語に近いので、タイ語が少し話せるニシオさんが会話を試みたりしていましたが、ほとんど通じませんでした。もちろん、英語は通用しません。だから、自分たちがなにかを聞くのは、英語が話せるニャイだけです。
それから20~30分ぐらいかな、ニャイが戻ってきたのですが、「別のところで泊まります。移動してください」と言われました。もう、装備は解いているので、このままではバイクに乗れませんし、荷物もある程度広げてしまって、これを暗闇の中でしまうのは一苦労…
自分は疲れていたし、酒が入って冷静な判断が出来なかったんですね。ここでキレてしまいました。「なんだって、ここだって言ったじゃん! もう荷物はといたんだから動かない、知らん!」ってニャイに噛みつきました。
でも、いくら怒ったところで、事態が変わるわけでもないことは分かっています。みんなに付いて、黙って荷物を運びました。途中、GOさんに「これ持っていきますね、バトンさん、そっちを持っていってください」って声をかけられたけど、返事もしませんでした。
歩いて5分ぐらいのところに宿はありました。ニャイに「ここと、ここの部屋を使って下さい。この部屋は二人で」って言われたけど、「ダメだ! シングルで部屋を使わせろ」と言って、ツインの部屋を一人で使いました。
洗面所には水甕があり、それを使えば洗濯も出来ましたが、「もう、どうにでもなれ!」って、なにもかもが嫌になって、頭から水を被っただけで、ベッドに倒れました。
iPhoneのライトを消すと、本当の暗闇が訪れました。
…続く